短歌の純響社

ぽぽぽ式アラ川通信
亡くなった子どもたちの奏でる音楽

赤ちゃんを生んで、二か月と半月。
産後直後は小走りさえできなくて驚いたのだけれど、少しずつ筋力は戻っていって、今では妊娠前とほぼ変わらない生活を送られるようになった。まだ少しお腹のふくらみが残ってはいるけれど、それもゆっくりと縮み続けているようだ。
生きている人間の中では、何があってもきちんと時間が流れていく。亡くなった赤ちゃんだけは写真の中で、変わらず新生児のままだけれども。

赤ちゃんには、生まれた翌日に「桃佳」という名前をつけた。
桃は、イザナギとイザナミの国産み・神産みの神話に出てくる鬼や魔を祓う果物だ。病魔を追いやることのできる、とびきり「佳い桃」となるように、と名づけたのだけれど、それでも生前に病魔を祓い切ることはできなかった。
名づけた数時間後に、赤ちゃんは亡くなっていった。

赤ちゃんの死はしょうがないことだった、運命だ、と人から言われるうち、赤ちゃんに名づけた「桃」の字は木ではなく、桃の実を意味してしまったのかもしれない、と思った。
鬼や魔にぶつけられて、つぶれてしまった実なのかもしれない。
名前が変わるだけで簡単に生死が分かれるとまでは思わない。でも、もしかしたら私は名づけを誤ったのかもしれない、と。

そんな話は誰にも言わなかったけれど。

やがて、四十九日の日が来た。
納経後の説法で、亡くなった後の名前・法名について、お坊さんがこう言った。

「お父さんのお名前に入った『清』という字から、極楽をわたる清い風を思いました。そうして、お母さんのお名前に入った『典』という字は経典を意味します。
極楽にはお経とともに清らかな風が吹き、その風を受けた宝の木は音を奏でます。その音は決して不協和音になることなく、美しく鳴り響くといいます。その木にちなんでお子さんには宝の木、『寶樹』という法名をおつけしました」

パパとママの名前を引き連れた爽やかな風に揺らされて、美しい音楽を奏でる樹木。
つぶれてしまった実ではなく、やはり桃佳ちゃんは桃の木であったらしい。それも、とびきりの音楽を奏でる、宝の桃の木だ。

亡くなった赤ちゃんと音楽といえば、ピーター・パンを思い出す。
今では少年としてのイメージが強いピーター・パンだけれど、作者のジェイムズ・M・バリがいちばん最初に『小さな白い鳥』という小説に書いたピーターは、生後一週間で人間の世界から飛び出していった赤ちゃんだ。
昼間のピーターはロンドンのケンジントン公園で小鳥として暮らし、夜になるとお母さんの部屋を訪れる。そうして、ピーターを思って泣きながら眠りについたお母さんのために、笛で美しい子守唄を奏でるのだ。子守唄を耳にするうちに、悲しげだったお母さんの顔には、ほほえみの影が浮かんでいく。

亡くなった子どもたちは、親を悲しませる罰として賽の河原で石を積む、という話がある。でも、そうではないのかもしれない。
赤ちゃんのことを思い出して親たちが涙を流すたびに、子どもたちは音楽を奏でるのかもしれない。
音楽は、悲しみで苦しむ心が和らぐように、繰り返し繰り返し奏でられる。
子どもたちの音楽が鳴り響く中、悲しみは悲しみのままに、ゆるやかに親たちの心になじんでいく。

気持ちが高ぶって寝つけない夜には、寶樹を思って耳を澄ます。
風の吹きぬける音が聞こえて、私はゆっくりと眠りにつく。


  二月半止まない母乳は誰のもの逝った子どもと私のもの   オカザキなを


オカザキなを 歌人。 1972年、東京の隅っこに生まれる。
「歌人集団かばんの会」会員。
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