短歌の純響社

ぽぽぽ式アラ川通信
犬と香水

東京の端のほうに、山と山のあいだを抜けていく川があって、子どもの頃、その川のほとりに暮らしていた。
春には田んぼで蓮華を摘み、夏には兄が川で魚を釣ってきて、秋にはきんいろに揺れる稲を眺めながら犬の散歩をし、冬には冷たい風に耳たぶを凍りつかせながら学校までの道を歩いた。
そこには、一年中何かのにおいがした。冬でさえも冷たい冴えた香りがして、鼻の奥がきんとした。花や樹のいいにおい、わらや土の温かいにおい、泥やよどみの嫌なにおい、いつだって、いろんなにおいがただよってきては風に溶けた。そんな場所で子どもから大人になった。

そのせいなのかもしれない。においがないと寂しいのは。

暑くてしつこかった夏が過ぎて突然冷え込むようになったら、体が楽になった半面、においが足りないと思うようになった。
熱せられて漂っていた、土のにおい、樹のにおい、アスファルトのにおいは、冷え込みとともにすっと薄くなってしまった。
道行く人からも、汗や体のにおいがしない。もちろん私自身からも。
においの薄い町は、目で見て耳で聞いて確かめることしかできないせいか、なぜだか存在感が薄い。今まで明確に立っていたものがはりぼてになってしまったような、心もとない感じがする。自分の存在までが、薄くなったような感じがする。

ようは香りが足りないんだよ。
そう思って精油を焚いてみた。やさしくて爽やかなスウィートオレンジの香り。悪くない。清潔感もある。家族にも嫌がられない。
ただ、これは存在を確かめるためのにおいじゃないみたい。京都のお香を焚いてみたけれど、それもしっくり来ない感じ。

まるで、しっぽをなくしたみたい。
においがほしいのに、ほしいにおいが見つからない。
なくても生活はできるけれど、それでも何か、物足りないんだ。

そんなとき、デパートを歩いていたら香水売り場を見つけた。
つい、ムエットをあれこれ嗅いでいたら、ショップの店員さんが
「お探しのものはありますか?」
と声をかけてきた。「好みの香りをお出ししますよ。花の香りやフルーツの香り、樹の香りとかだったらどれがお好きですか?」

爽やか系よりは甘い香りがしたほうが、体が温まっていいかな。花もいいけどフルーツもよさそう。あんまり強烈に香ると困るけれど、香りがすぐ消えるのはつまらない。
聞かれるままに答えては、二〜三種類ずつ紙につけた香りを比較して、好みに近そうな香水を出してもらった。鼻が利かなくなったら、差し出されたコーヒーの粉を嗅いで鼻をリセット。また嗅いで、答えて、嗅いでみる。

ある一本を嗅いだ瞬間、「あ、心地いい」と思った。
懐かしくて甘い。手首につけてもらったら、甘いフルーツの間から花の香りも立ちあがった。土や樹のくすんだ香りも、遠くから聞こえる。
かすかに体温が上がったのか、香りは体にやわらかくなじんだ。
「これください」と声が出た。

香水は、ただのいい香りじゃないらしい。ワープロソフトで平字を太字に変えるように、自分の存在を少し支えてくれるらしい。
体を洗われてにおいをなくした犬が、元気を取り戻したときのような気分。わんわん、僕ここにいるよ。しっぽふりふり、ほらわかるでしょ。
ひと噴きの香水が、今もここにいる私を肯定している。

   鼻先を濡らして(犬だ、僕たちは)はじめましてと湧きたつにおい  オカザキなを


オカザキなを 歌人。 1972年、東京の隅っこに生まれる。 「歌人集団かばんの会」会員。


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