短歌の純響社

ぽぽぽ式アラ川通信
おさんどん

何となく手先を使うことがしたくなって、でも編み物や裁縫をしようにも材料を買うところから始めなくてはいけないのがおっくうで、おっくうだから手は出せなくて、それでも、
今すぐ。
手先を使いたい。
なにかないものか。
と考えて、もやしのヒゲ根を取ることにした。

薄茶色いヒゲ根は、徐々に淡い色になって白いもやし本体に繋がっている。その白と薄茶色の間を、ぺティナイフで切り離す。小さな小さな手ごたえが、さくり、という音とともに伝わってくる。
指にまとわりつくヒゲ根を、ぽいぽいと透明なビニール袋に入れていく。
もやしを一本つまみ取る。もやしを見つめる。もやしを切る。一本切ったら、もう一本切る。さらに一本、また一本……。
見る、切る、捨てる、つまむ、
見る、切る、捨てる、つまむ……。
見ることと指の動きに集中するうちに、頭の中からは言葉が消えて、体の感覚だけになっていく。とても静かだ。

食事を作るようになったのは、たぶん高校生だった頃。両親が共働きだったので、自然と夕飯当番になったのだ。
その後もかれこれ二十年以上、時々休みはしながらもちょこちょこと食事を作ってきた。とはいえ、学校の家庭科で学んだ知識以外は独学なので、たいしたものは作れない。
ご飯を炊いて、野菜をいためたり煮たりして、肉や魚にも火を通したら、それで日々のご飯ができる。理想は一汁三菜以上。食材を15種類以上使うこと。
作るところから食べるところまでがご飯の時間。
いただきます。
と誰に云うともなくつぶやいて食べる。

体調の悪いときや気分が乗らないときには、できあがった料理もぱっとしない。心の中にわだかまりがあって食材に向き合うことができない分、どうしても焦点の合わない味になるのだ。
逆に作った料理を食べてみれば、今の自分の調子がどうなのかわかる。調子が悪いと気づいたとしても、今いちだなあと思いながら、とっとと食べ終えて寝るしかない。せめてもの御まじないに、起きたら元気になりますようにと、野菜をたくさん食べて、眠る。

ヒゲ根をすべて取り去ったもやしは、隅から隅まで真っ白だ。
スライスした厚揚げと一緒に炒め煮をしてみたら、しゃくしゃくとしてみずみずしかった。これは、時間をかけたご褒美。
でも、どんなに手間をかけて作っても、食べてしまえばご飯は消える。
明日もご飯を食べる。明後日も。消えてしまうご飯を何度も作る。できるだけ丁寧に、できるだけ美味しく、作って食べたいと願いながら。

   口んなか勝手に唾がたまるほど僕らの心は梅干しである オカザキなを


オカザキなを 歌人。 1972年、東京の隅っこに生まれる。 「歌人集団かばんの会」会員。


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