短歌の純響社

ぽぽぽ式アラ川通信

タオルを畳んでいたら、一枚のタオルが突然映えて見えてきた。
何ということもない、普段づかいのタオルだ。全体に水色の太いラインが入っていて、ラインの重なり合ったところだけが、濃い青色になっている。毎日のように使うから、手触りはごわごわ。色だって、新品だったころに比べたら、もうずいぶんと褪せている。
でも、その濃い青色が、その晩に限ってやけに鮮やかに見えたのだ。

きれい。とてもきれい。
顔をうずめてみると、石けんのいい香りが立って、なおさらいい気分になる。
朝日が出たように、なんともいえない、幸せな気分に変わっていく。

そういうことが時々、ある。

意味もなく、ただ目の前の何かがとても美しく感じられることが。 奇跡のような、当たり前のような、見ているこちらの存在まで美しくなっていくような、そういうものに出くわすことが。

*****

中央線に乗っていて、虹を見たことがあった。

午後の電車は混みもしないし、すいてもいない。ぽつぽつと無関係に人が立ち並んでいる。 そんな車内で、トビラの脇に立ってぼうっと外を見ていたら、ビルとビルの間に小さく虹が見えたのだ。

「あ、虹。」
と小さく呟くと、呟いたつもりが案外はっきり口にしてしまったらしくて、周囲にいた人々が一斉に窓を覗き込んだ。

虹は、見えたと思うと、ビルの間に隠れてしまう。
隠れたかと思うと、またビルの向こうに見える。
見えて、見えなくなって、見えて、見えなくなって、電車がくぼ地に入るととうとう虹が見えなくなって、終わったところで、隣に立っていたスーツ姿の女性と目があった。

つい、
「虹でしたね」
としゃべりかけると、
「虹。見えましたね」
と女性。女性は水をもらったばかりの植物のように嬉しげで、同じようにわたしも嬉しそうな顔をしていたのだと思う。

あの虹は、なんにんの人が見たのかな。

*****

毎日はたいてい退屈。
ときどき心底うんざりとしてしまう。
昔話に出てくる、おぶさりお化けに襲われたみたいだ。なにせお化けだから、離そうとしてもなかなか離れない。どんどん重くなったりも、する。
弱り果てて、人生に意味なんてあるのか、とか、わかったようなことを思ってみたりする。

そんなときに、虹のような何かがやってくる。
肩こりがほぐれるように、それに触れたとたん、目にするものすべて、自分自身までがいいものに思えてくる。
どっとはらい、とっぴんぱらりのぷう。そうして幸せに暮らしましたとさ。

……というふうに、毎日は物語のようには終わらない。
日常のような奇跡のような、「それ」に息を吹き返しても、またしばらくしたら、うんざりする毎日がやってくる。
メンドクサイ。ダルイ。ヤダナ。
なんてことをぐだぐだ言って過ごす。

でも、そうしてまたいつか、虹。

まあ、悪くないと思う。
だって、きれいだし、出会うたびに嬉しいから。虹、その他、すべて。

   明日ニハイイコトアリマスヨウニって餃子に羽根をつけて焼く夜 オカザキなを


オカザキなを 歌人。 1972年、東京の隅っこに生まれる。 「歌人集団かばんの会」会員。


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