短歌の純響社

ぽぽぽ式アラ川通信
猫又、準備中。

ダイニングの椅子に座っていたら、脇からぽんぽんと腕を叩かれた。
振り向くと、猫だった。椅子の端に左前足をかけ、右前足を伸ばして私の腕をた
たいていたのだ。目が合うと猫は「あー」と言ってから、れろっと舌なめずりをして
みせた。
いつにない、人間のようなしぐさに目を丸くしていると、
「最近覚えちゃったのよねー、その食べてるものくれって言ってんのよ」
と母が笑った。

実家の猫は今年で十九歳。
人間でいえば九十歳は超えているらしい。五年ほど前までは庭先で雀を獲って
いたけれど、さすがに最近は寝てばかりだ。
それでも一日に数回、家のまわりを一周するのだけは欠かさない。その日も窓辺
でこちらに振り向き、「あ」と訴えかけてみせた。窓を開け放つと、猫はすとん、と
地面に降りて庭の匂いをかぎ、ことこと歩いて姿を消した。

「あ」
  「あー」
    「あわー」
   「お」
 「のー」
猫の声が家のまわりをぐるりと廻る。

パトロールがんばってますな、と猫の声を聞くともなく聞いていると、庭先から
「あの」
と声がした。見ると庭まで戻ってきた猫が、丸い目をしてこちらを見ている。「おお
お帰りよ」と言うと「あのね」と鳴く。「なにー」と言うと「あのねー」。
はいはいはい、と網戸を開けると、「ねえ」「あ」「おあー」「あのね」と猫は言い言
いしながら家に入りこんで来た。「はいどうしたよ」と答えても、「あのね」から話は
進まない。
「あのね」「なんだー」、「あの」「なんだー」といちいち答えてやっていると、突然猫

「なんあー」
と人間を真似て、大きく鳴いてみせた。

別の日。
母の留守中に実家をおとずれた私を見て、猫は室内の探索をはじめた。私とい
う人間が来たので、母も帰ってきたんじゃないかと思いついたらしい。
「あー」床の匂いをかぐ。
「おあー」こたつ布団をかぐ。
「のああー」こたつの中をのぞく。
「おあーん」頭をあげる。
それでもやはり、母はいない。

母を探しながら猫がひっきりなしに鳴くので、「おあーじゃないよ、おかあさんって
言ってごらんよ」と猫をけしかけてみた。猫はこちらをちらと見て「あー」。
「違うよ、おかあさーんだよ」「おあー」。
「おかあさーん」「おあーん」。
「おかあさーん」「おああーん」。
「そうそう、おかあさーん」「おあああーん」。
なかなかうまくなってきた。

とはいえ、「おあああーん」と呼んだところで母はやはり見つからないのだ。こち
らが言い出したこととはいえ、少し気の毒になっておでこを撫でてやると、猫は目
を細めてぐいと手に頭を押し付けた。

帰宅した母に猫が日本語を話したと伝えると、
「最近は朝、私の顔見上げて『おあよー』って言うのよ」
と笑いながら母は告げた。「あのね」「なんだ」「おかあさん」に加えて、「おはよう」
までは言えるということか。
猫は順調に、猫又になる準備を整えているらしい。

   「おはよう」と老猫の告げる朝が来てわりとあかるい世界の終わり オカザキなを


オカザキなを 歌人。 1972年、東京の隅っこに生まれる。 「歌人集団かばんの会」会員。


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