短歌の純響社

短歌時評 西巻真
ベンチは思い出のために

私は海で死んだ。そう、ベンチで思い出した。
以前、ある短歌の勉強会で、そんな内容の詠草を見かけた。
確かにベンチは人に何かを思い出させる。それが自分の死でもおかしくはない。
みんなベンチの上では、思いがけない記憶に出くわすものだから。

スコットランドのその島には、道路沿いにベンチが置かれていた。ベンチの一脚
一脚には「in memory of ●●」という言葉が刻み込まれていた。「●●を偲んで」
というその文言だけは変わらないまま、●●のところには、男の名前、女の名前
、古い名前、珍しい名前、メアリ、ディビッド、ジョン、エミリ、ルーシィ、我が父、
我が母、我が娘、我が息子、我が友、ありとあらゆる人の呼び名が織り込まれ
ていた。亡くなった人をしのんで据えつけられたそのベンチは、数メートルおきに
点々と、海辺を向いて連なっていた。

その旅行の目的のひとつは、閉鎖したウイスキー蒸留所を見ることだった。
ひょっとして復活するんじゃないか、という期待は、窓枠によじ登って埃まみれの
部屋を覗き見た瞬間に消え失せた。一緒に訪れた友人に視線を移すと、友人は
「しょうがないよ」というように肩をすくめた。わたしも「しょうがないね」というように
小さく笑って見せた。

蒸留所だった空っぽの建物。空っぽの建物になってしまった蒸留所。
その傍らにもベンチは置かれていた。友人とわたしは建物から離れると、二人並
んでそこに座った。ベンチから見える海は、
きらきら
  きらきら
    きら
  きら
としていて、
それを見ているうちに、いつか私は会ったこともない、誰かのことを思い出していた。

ハロー。
ハロー、友だち。今まで会ったことがなく、この先も一生会わないひと。

わたしはもうどこにもいない、その人のことが懐かしかった。懐かしくて、ただベンチ
の上から光の乱反射する海を眺めた。日が沈んでいくにつれて、光は小さくかすか
になり、やがて平たく消えていった。わたしも友人もそれを眺めながら、体が冷え始
めるまで、ベンチの上でぼんやりとしていた。

生きている友だち。
死んでいる友だち。
会えた友だち。
会えなかった友だち。
みんなで、ベンチに座りに行こう。
ベンチに座ろう、思い出のために。
過去も未来も現在も、ベンチの上には、すべてが思い出となってあるのだから。

   微笑んで呼ぶのはだあれ懐かしく写真となってとどまれるひと オカザキなを


オカザキなを 歌人。 1972年、東京の隅っこに生まれる。 「歌人集団かばんの会」会員。


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