短歌の純響社

短歌入門 さいかち真
短歌入門第4回 【字あまりを味わう】

   4  自動詞と他動詞の扱い方

  短歌を作っていると、定型におさめるため助詞の扱いに苦労することがある。字数の関係で他動詞の上の「〜を」を省いてしまって、後から先生や知人に「『を』を入れた方がいい。」と言われて、「字余りになってもいいんですか。」と聞いたりする場面を、私は一度ならず目にしたことがある。
  たとえば、次の歌。

  白楊の花ほのかに房のゆるるとき遠くはるかに人をこそ思へ   土屋文明 『ふゆくさ』
(どろのはな、ほのかにふさの ゆるるとき とおくはるかに ひとをこそおもえ)

  結句は「を」を入れて一音字余り。古典和歌でも動詞の「思ふ」がある時に字余りは許容された来た。一首は、やわらかい和語の響きを持つ、初々しい相聞歌である。
  もう一首、次に続く一連から。

   夕べ食すはうれん草は茎立てり淋しさを遠く告げてやらまし  同
(ゆうべおす ほうれんそうは くくたてり。さびしさをとおく つげてやらまし)

  四句めが、やはり「を」を入れて一音字余り。この「を」を取ると、四三の弾みが強調されて歌が軽くなってしまう。
  短歌も一つ(または二つ以上の)の文であることに変わりはないわけだから、「〜を」の対象に当たる語は省かないのが原則だろう。

  前回、古代語で終止形が現代語と同じものは、一段活用と変格活用をのぞいて、ほぼ四段活用だと説明したが、あれはだいぶ大ざっぱな言い方である。それはそうなのだけれども、古代語の動詞には、自動詞と他動詞で二種類の活用を使い分けているものが多い。これがわからないので、文語を使った短歌作品作りを敬遠する人もいるのではないかと思う。
  要は辞書を引くことができればいいので、そのために前もって知っておくといいことが、自動詞と他動詞についての知識である。
  たとえば、動詞の「立つ」には、四段活用の「立つ」と下二段活用の「立つ」のふたつがある。

  立たない。立ちます。立つ。立つ・時。立て・ども。立て。という四段活用。
  立てない。立てます。立つ。立つる・時。立つれ・ども。立てよ。という下二段活用。

  自動詞は、「〜が」という主語を立てることができる。例。「木が立つ。家が建つ。時が経つ。」短歌は基本的に作者主体が語りの視点を動かす文芸型式だから、意志動詞を多用する。例。「思ふ。見る。行く。」その結果として自動詞を使用する比率が高くなる。そうして四段活用(と一段活用)の自動詞は数多いから、だいたい迷うことがなくて済むのだけれども。
  それに対して、他動詞は、「本を読む。犬を飼ふ。籤を引く。」というように動作の対象となる言葉を必要とする。だから、「〜を」の部分を省いてしまうと表現としては十分ではないということになる。

  老耄に入りたる兄を悲しめりさなり自らの老いを悲しむ   稲葉峯子 『曼陀羅図絵』
  渋柿のひとつが高き裏庭にまなこを閉づれば兄は声なり

  一首め。「ろうもうに いりたるあにを かなしめり。さなり。みずからの おいをかなしむ」。
  もうろくしたのは、兄だけではない。そうだ。この自分も一緒に年をとってしまったのだ、と思う悲しさ。兄のことから反転して「自らの老いを悲しむ」という自省に至る語の斡旋の確かさを読み味わうといいだろう。
  二首めは、目を閉じると若き日の兄の声が聞こえてくるのである。あの若い兄の声は、幼年時代の思い出がまつわる家の裏庭の柿の木が知っている。「まなこをとづれば」と「を」を入れたことによって生ずる一音字余りが、あふれてやまない思いをじんわりと受け止めて、作者は涙をこらえているかのようだ。
  前回説明したやり方で、「閉ぢ・ます」から「閉づ」をもとめて辞書を引けば、他動詞「閉づ」が、上二段活用ということがわかるだろう。
  そうすれば、ここは口語の「閉じれば」でなくて、文語なら「閉づれば」だということが、確認できるだろう。

  父あらず母もあらずて讃岐路の暮靄にしばし沈黙をする 同上

  この歌も「を」に着目して見てみると、「ぼあいにしばし ちんもくをする」という四・三、四・三調が、四句目の漢詩の口調と、結句の「〜を・他動詞」という語法によって、浮つかない沈めた響きを出していることに気が付かせられた。

さいかち真  歌人。
著書に評論集『生まれては死んでゆけ 新世紀短歌入門』、
歌集『裸の日曜日』等がある。


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