短歌の純響社

短歌時評 西巻真
知情のバランス−光森裕樹著『鈴を産むひばり』

第五十四回角川短歌賞受賞者、光森裕樹氏の第一歌集『鈴を産むひばり』(港の人)を読む。

光森氏は歌集刊行前からその才質を高く注目されていた歌人の一人で、第一歌集の刊行を楽しみにしていた。この歌集は一見すると「美しい青春歌集」のように見えるが、氏の特質はそれだけにとらわれない、ある「歌のうまさ」が全編に満ちていて、読んでいてここちよい読後感がある。

氏の特質を一言でいうのが難しいが、やはり「主知的な感覚」が歌にうまく機能しているように思える。情感をうまく57577の様式(あえて様式と言おう)に合わせることが非常にうまいのだ。

どういうことか一首を引いて説明してみよう。

・花積めばはなのおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず思春期

この歌では、初句で「花積めば」と切り出したあと、ひらがなで「はなのおもさにつと」というひらがなの可憐な感覚があらわれる。そのあと、「沈む」というやや内面的な詩情をあらわす動詞があらわれ、次には「小舟」というまたはかない言葉をとりあわせる。

そのあとの「ゆくへ」というひらがなことばの選択にも繊細な感覚があらわれていて、読んでいて一種のはかない感覚がある。ひらがなと、漢字の配置もバランスがよく、非常に均衡がとれている。

読む側として意味をとるとすると、

・花積めばはなのおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず/思春期

と一回スラッシュでくぎって読みたい。つまり、思春期とはそういうはかないものなのだ、ということをスラッシュの前で暗喩的にイメージさせた歌だ。

光森氏の作品は、どの歌を引き出してみても、韻律が繰り出してくる言葉のバランス、ひらがなと漢字の均衡、どこで力を抜いてどこで力を入れるか、といういわゆる定型の「様式」がしっかり身についている。出来不出来が少なく、作者自身の手で歌が完璧にコントロールされている。主知的な「バランスの良さ」を歌集全体から感じるのだ。

・どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと

・ひまはりと書かれてしろき立て札に如雨露に残るみづをかけたり

・ていねいに図を描くのみの答案に流水算の舟すれちがふ

・ゑのころを照らす停留所にいつか乗ることのないバスが来てゐる

すべてTから引いたが、どの歌を掲出しても様式の完璧さと、強い詩的イメージに基づいたスケッチの情感がつよく表われているように思える。Tは、光森氏の青春詠の白眉として読めるだろう。

                  ※

歌集全体はV部で構成されているが、このV部の構成はT・Uのボリュームが少なく、Vのボリュームが圧倒的に多い。TとUを会わせてようやくVと拮抗するかのような分量である。

Tの段階でこのような技量を見せたあと、Uの作品には、そのような氏の言葉の来歴がどこから来ているのか、ということがわかる「実験作」が数多くならぶ。

・アンナ・シュバルツバルト、人ではないものに其のやうな名を付けては不可ない

・少(ママ)躍りをするとき吾は王であり国花制定権さへ有す

・此(こ)、其(そ)、彼(あ)、何(ど)も世界の四隅に置く椅子にふさはしきとぞ口髭を巻く

・ゆふぐれてひとさしゆびに集まれる風は風かも古代希臘の

・六月のケンタウルス座があらはさぬ黄金(きん)の馬脚を吾がものとして

 

古代希臘という凝った言い回し、国花制定権、という不思議な権利。王の口髭、ケンタウルス座、そして「アンナ・シュバルツバルト」という異国の人名の響き。

一見すると「擬」異国趣味とでも言ったらよいのだろうか。青春というある種の美しい感受性のなかに、このようないわば「王朝的な感覚」のようなものが流れていることも見逃してはならない点であろう。こういった「王朝的な感覚」は、たとえば現実の「社会権力」や「政治意識」そのものへ向かおうとする批評性とは全く無縁である。

そういった部分とはやや切りはされたところで、ちいさく「国花制定権」というものを認めようとするような、非常に繊細で「かわいい」現実認識を持っている作者のようである。こういった点もおそらく多くの読者に受け入れられるだろう。

                     ※

Vの作品はおおむね長い連作を中心に構成されており、角川短歌賞受賞作を初めとして、連作作家としての光森氏の特質が遺憾なく発揮されている。私は以前、「さまよえる歌人の会」で光森氏の認識の歌の特徴について述べたことがあるが、氏の認識には、対象の形状をあらかじめ掴んでいて、そこから逆算して歌を作っていくような作り方をしている秀歌が多い。

・六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか

などは顕著な例だが、バスが立方体であるという非常に図形的な発見がそのまま歌になる。

・重力があるゆゑ決まる裏表 雲のおもてに吾は出(い)でたり

・一晩を眠らずあれば震へだす指を鎮めつ「閉」のボタンに

こうした歌は、どちらかというとやはり「重力」や「閉」という認識が先にたっていて、そこから発想が来たという感覚の歌だろう。極めて主知的で、高い認識力を感じせる歌だと思う。歌のひらがなと漢字のバランスとともに、光森氏の歌の「うまさ」の底辺をなす感覚のひとつとして指摘しておきたい。

光森氏の歌の特質を3点に渡って述べてきた。

・漢字とひらがなのバランス

・認識と情緒の均衡

・軽い王朝、異国へのあこがれ

そして、もちろんそこにあふれでる良質の抒情である。ある意味、「青春歌人」が持っている像を巧みに利用しながらも、光森氏はなかなか容易ではない歌を作る作者なのだ。

こうした歌集が面白くなかろうはずがない。繰り返し手元に置いておきたくなる一冊だ。

光森氏の認識性を突き詰めていくところに、強い現代への批評性を獲得する作品も数多く収められている。その批評性は旧来のステロタイプな社会権力そのものへの批判には向かわない。むしろ社会の認知方法の更新にまつわる歌に批評性が強く発揮されているようだ。

・あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず

  Brennt Paris?
・つひに巴里さへ燃えあがる夜も冷えびえと検索窓は開いてゐるか

・だから おまへも 戦争を詠め と云う声に吾はあやふく頷きかけて

 Ruby 1.8.7
・日本語にversionありや紅玉の名を持つ言語にゆふべ戯る

引いた歌はどちらかというと社会詠という題目を付けられる歌だろうか。しかし、これらの歌は、いわゆる「社会」を歌った歌ではなく、google earth、検索窓,version、といったコンピューターシステムそのものに向けられていく。いわば「システム詠」といってもいいだろう。複雑化した高度な社会のある一面を切り取ろうとした、まったく新しい社会詠のあり方として評価したい。

このように鋭利な歌人が登場したことを素直に喜びたい。


西巻真  歌人。1978年生まれ
2007年度未来年間賞受賞 2009年度未来賞受賞

加藤治郎に師事

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