多摩湖にて

多摩湖にて

久しぶりに多摩湖までサイクリングした。20代半ば頃、もよりの西武遊園地駅前の安アパートで暮らしていたことがある。当時、多摩湖町在住の作家、清岡卓行の詩や小説に心酔していて、その作品に描かれていた湖のそばに住みたいと思ったからだ。同じく敬愛していた作曲家、武満徹の住む町でもあったから。それともうひとつ、恋人づくりのためである。湖に橋、観覧車のある遊園地が目の前にあるという浪漫的ロケーションがすべて備わっているので、あとは恋人さえいれば至福の空間となるはずだった。環境さえ整えれば、後は恋人の訪れを待てばいいのだ。イメージとしては、湖の夜明けの気配とともに湖面から少女があらわれ、光の繭を纏ってわたしと肩を並べて歩み出す。その声は水晶と水晶が最初に触れ合う慄きであり、誰が聞いてもその場で即死してしまうほど美しい。その瞳は黒曜石の煌めきをもち、瞬くたびに多くの人々を卒倒させてしまう。名前は光野原繭美で、愛称ブルンネン(ドイツ語で泉)。名前とイメージが固まったので、後は出会うばかりなので、朝、夕、真夜中・・湖面を渡る橋を往復したが、なかなか出会えない。だいたい若い女性が一人で歩くような場所ではなく、多摩湖周辺には隠遁者、妖怪、世捨人、貞子がさまよっているだけだった。おまけにわたしの間借りしたアパートは駅のすぐ前で、始発電車のベルは部屋中にひびきわたり、電車が出発すると同時に部屋も揺らぐのだ。
ロマンティックな生き場所さえ確保すれば、恋人は自然に(おのずから)現れるという、わたしの予見は見事に裏切られてしまったのである。多摩湖に潜って魚を主食とする漁師として生きたかったが、魚釣り禁止だったので、電車に乗って十数分の東大和駅前にある塾講師となって小、中学生に英語や国語を教えた。授業は午後6時からなので、たいてい昼過ぎに起きるのだが、多摩湖周辺には土産物屋を兼ねた食堂が一軒あるだけ、しかもメニューは、玉子丼と親子丼だけだ。必然的にわたしは、この店で玉子丼と親子丼を、交互にほぼ毎日食べることになった。甘辛い濃いめのタレは、思い通りの恋人があらわれないわたしの味覚中枢を刺激し、白飯をかっこむことで恋に恵まれない不遇を、つかの間満たしたものだ。それから120年くらいが経って再び訪れたのだが、多摩湖の風景は基本的に変わっていなかった。日本一美しいとされる取水塔はバロック的佇まいを水面に映し出し、相変わらず魚釣り禁止なので漁民の姿はなかった。だが、わたしが恋人と巡り合うかわりに食い続けた親子丼、玉丼の店は閉鎖されていた。これでわが胸の内なる恋人「光野原繭美」と出会うチャンスは永遠に断たれたのである。
(以下、次号・多分ないが)

2015年7月1日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリー:コラム

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