花見は暴雨風の日にするものだ(続) 電話ボックス

花見は暴雨風の日にするものだ(続) 電話ボックス

 その電話ボックスは、桜森のはずれの公衆トイレの傍らに、何年も前から置かれていた。誰もが携帯を持つ時代に、利用者はほとんどいないと思われるが、撤去されることもなく、むしろ孤立を楽しむように佇む姿に、日頃から同士的共感を覚えていた。全方位、透明な硝子張りというのもいい。

この世にあっては無用な存在となりつつ、彼方の気配をもっとも敏感に察知する装置とも思えるから。(隅田川沿の、難破船とも見まがうブルーシートの家も、そのようなものだったが)

 その電話ボックスの全身が今、桜はなびらまみれになって、暴風雨に晒されている。そして内側から呼び出し音のコールが響いてやまないのだ。だからボックスに飛び込み、受話器を取り上げてみるしかなかった。
「もしもしもし、もしもし、もし・・・」
 胸の奥まで、つーんとする沈黙の気配があって、その彼方には計り知れない黒闇が広がっている、と思えた。まだ解明されていない宇宙の暗黒領域(ダークマター)からかかってきたコール・・・。
 じっと耳を澄ませるしかない、沈黙と沈黙とをわかちあう世界のなかでしか出会えないなにか、、、、「沈黙魂」としかいいようのない音なき音、、、、、、、
 ふとあたりを見回すと、周囲の硝子窓にびっしり張り付いた無数の桜はなびらが眼となって、じわっと、わたしを眺めまわし、全身の皮膚に張り付こうとしている。桜花びらは沈黙を見尽くそうとするエネルギーであると、なぜかありありとわかった。
 微かに波のさざめきが聞こえる気がしたが、いきなり電話はきられ、後には救急車の悲鳴のような断絶音がとどろくばかりだった。

 電話ボックスから出ると、風雨はさらに強まり、家に帰りつくと「滅多に折れない蝙蝠傘」の骨数本は折れ曲がり、歪に変形されていた。頑丈なはずの鉄線の傘骨が折れたので、全世界の傘修理人に頼んでも治せないだろう。「滅多に蝙蝠傘の折れない日」をわざわざ選んで花見をしてしまったので、当然の報いだったのか。

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