のばら駅まで

のばら駅まで

・・・のばら、のばら、のばら、終点のばらです。本日の最終電車です・・・

 ガッタン、と電車が揺らめき、目をさました。

・・・あああ、またやってしまった、出版記念会のパーティーでもらったおみやげ袋を抱えたまま、がらんとした車内をきょろきょろみまわした。ついついワインを飲みすぎてしまい、最終電車で帰ると、わけのわからない駅までたどり着いてしまうことも、しばしばなのだ。それで今夜も最終電車に揺られたまま眠ってしまい、見知らぬ駅まで運ばれてしまったのだ。最近は私鉄やら地下鉄線やらが相互乗入れになっていて、うっかりすると、とてつもない場所まで運ばれてしまうのだ・・・けれどいったいここはどこなんだろう、のばら駅なんて聞いたこともないのだが・・・。電車を降りても、なんだか妙に薄暗く、降りる人や駅員らしき姿もみかけない。洞窟のなかを歩いているみたいだから、地下鉄の駅なんだろうか。

 おそるおそるホームを歩いているうちに、前方に、ほのかな光をまとった人影のようなものが、ゆらゆらほのめいて遠ざかろうとしている。海の底で靡いている海草のように。ああ、よかった。あの光についてゆけば駅から出られそうだ。早足で近付くと、ぼんやり光っていたのは、その人がまとっていたフレアスカートの水玉模様で、それは水色の泡となってきらきら輝いていた。その人は歩くというよりふわふわと漂い、やがてすっと浮かびあがり消えかかった。あああ、ちょっとまってえ・・・その人影は階段を駆けのぼるところだったが、フレアスカートをさっとひらめかすと、突然、スカートのなかの水玉模様が、ほろほろとこぼれ落ちてきた。それはシャボン玉のように浮き沈みしつつ、わたしのまわりを漂ったが、一つ消え、二つ消え、三つ消え・・・。やがて最後のひとつが消えかかろうとするのを必死に追いかけ、ようやく両手で包みこむように捕えることができた。するとその水玉は、林檎ほどの大きさになって、水晶玉のように内側から、きらきらと輝きはじた。

 ほっとひと息。やれやれ、この水玉の灯りのおかげで、真っ暗闇の駅に取り残されなくてすみそうだ。その灯りをたよりに地下駅の階段をのぼり、ようやく地上に出ることができたのだ。

 けれどそこは、いちめんの草っぱら!道というものが、どこにもない。

町というものが、ぽっかり消えてしまった世界なのだ。

東西南北雑草ばかり、それが月明かりをあびて果てしなくなびいているばかり。

 しばらくぽかんと口をあけたまま、草っぱらにたちつくす。

のばら駅って、ただの野っ原ってこと?それにしてもフレアスカートの人は、どこに消えてしまったんだろう。

 

「道は自分でみつけるものなのよ」

「え?」

 どこからか声がしたが、あたりには誰もいない。

「ここよ、ここ」

 その声は両てのひらに抱えていた水玉から、ひびいてきた。

 月あかりにかざして、よくみようとのぞきこむと、スカートの襞襞のようなものがひるがえり、つぎの瞬間、水玉のなかに丸ごと呑みこまれていた。

 ふと気がつく水族館の水槽のなかのような、薄水色のひかりが流れる部屋にいた。

「休んでいきなさいな。少しだけ」

 長い髪を靡かせフレアスカートをゆらめかせて、女の人が煉瓦色の菓子皿を抱えて近付いてきた。

「ところでバックからはみ出している壜はなに?」

「ああ、これはおみやげにもらったワインです。ポルトガル産の赤ワインです。・・・飲んでみますか」

 女の人が十秒間に三十回はうなづいたので、わたしはポケットから愛用の抜き取り装置を取り出し、おもむろに先っぽをコルクに挿して、くるくるくるまわし始めた。ああ、この瞬間のときめき、壜に凝縮されたワインの気持ちが開放される束の間が好きで好きでたまらず、ワイン好きになったのだった。コルクを抜く時の、すぅ、っぽん、0,1秒のためいきをついてワインは秘められた思いを、一気に解き放つのである。

 いつのまにか目の前に、天使と星の透かし彫りの入ったワイングラスが二つ並んでいたので、わたしは赤紫色を波立たせて、それぞれのグラスの半分まで注いだ。

「グラスに全部つがないのは、ケチっているわけではなく、香りと色と味がたちのぼるのを感じてもらうためなんですよ。グラスを揺らすとこの世と夢の世界が、ほのかに交じるのです。半分づつね」

 (そういえばこのセリフ、今日のパーティでもいったかな・・・)

「おいしい!体に流れている血とひびきあっているみたい」

「赤ワインは人間の体温にして飲むといいんです。血とおなじだから」

それから注いだり注がれたりしているうちにすっかりいい気持ちになって、体がふわふわしてきた。

 あらためて首をぐるんとひとまわりさせると、窓があるのかないのか、部屋が広いのか狭いのか、さっぱりわからない。部屋全体がふくらんだり縮んだりして呼吸しているようで、とりとめがなくなってくるのだ。部屋の彼方も、ただただ青っぽいばかりで宇宙空間に漂っているようだ。

「あの、ここは、どこなんでしょう」

「人魚の部屋」

「・・・するとあなたは」

「人魚」

 長い金髪に碧眼の瞳、羽衣のようにきらきら靡くブラウス、足下まで隠れるフレアスカート・・・外見はアンティックなフランス人形のようだ。そういえば足は見えず、ふわふわふわっと、地上から少し浮き上がっている感じ・・・人間と人形の中間、その隙間に漂う淡い影のような雰囲気を全身にまとっていた。

 人魚の部屋は、この世では形をもたないので、泡のように縮んだり、海そのものまで広がったりできるようだ。

「海の泡のひとつぶ、あるいは全世界の海が、この部屋なの」

 

 それから人魚は700年以上もひとりぼっちで深海をさまよっていること、時々、この世からはぐれかかっている人を呼び寄せて、この「海の泡つぶの部屋」に招くことがあることを話してくれた。

「私も、もう何十年も人間をやっていますが、両足はあっても、いまだに地に足がつかない感じで、あちらこちらとさまよってしまうんですよ。シャボン玉みたいにね。今日は酔っ払って電車のなかで眠りこけただけですけど」

 推定年令700歳の異性とはこれまで話したことがないので、ヘンなことを口走ってしまったかな、とどぎまぎしました。

 けれど人魚は真剣にうなずいてくれた。

「今いるところがさみしいと、どこまでもどこまでもさまよいたくなるものよ。さみしさというのはすうっすうっと何千回も何万回も、からだをくぐり抜けていって、それでだんだん身軽くなっていける思いなの。さみしければさみしいほど身軽くなって遠くまでいける。それだから何百年も世界中の海をさまよい続けることができるの」

 真っ暗な深海を、ほのかに光りながら、何百年も果てしなくさまよう人魚の姿が浮かんでは消えて、なぜか胸がしくしく痛くなってきた。ポルトガル産ワインを飲みすぎたせいかもしれないが。

「ああ、そうだ。ワインをいただいたお礼に、ファドを唄ってさしあげますわ」

「ファド、知ってたんですか」

「あたりまえよ。何百年も世界中の海を泳いできたんだもの。港にはたくさんの出会いと別れのメロディが入り混じって、海に流れ出しているの。足でステップは踏めないけれど、声でステップできるわ」

 人魚はファドの名曲「海まで」を、深海にまでひびく澄んだ美しい声で唄ってくれました。

  海の底まで 森の奥まで 空の果てまで

  どんな真っ暗闇でも あなたに出会うまで

  さまようしかないのです あなたの名を呼ぶと 灯影が生まれます

  いつも胸の奥でゆらめいている 灯影です

 耳の彼方、目の彼方、唇の彼方から、さざなみが溢れては消えて、ひかりがちりちりと結晶して、シャボン玉のように浮かんで・・・・・

 その泡粒のひとつになりたいとたまらなく思って、うつらうつらしはじめた。

 「めざめてくださいな。ここはひととき休むところ。眠ったらそのまま海の泡とともに消えてしまうわ」

 人魚は心配そうに声をかけて、いいました。

 「これから元の世界にあなたを戻してさしあげます。ひとつ呪文を教えてあげるわ。・・・のばら、のばら、のばら、道になれ、道になれ・・・」

 目をあけると、もとの場所、東西南北どこを見回しても草っぱらにたたずんでいた。真っ暗闇でどこにも道はなく、ただざわざわと草が鳴りひびいているばかり。

 帰りたいところなんて、ほんとうはどこにもなかったんだ、とぼんやりと思っていた。

 それにしても、のばら駅ってどこにあるんだろう。

 駅ごと、人魚ごと、世界が消えてしまったようなさみしさだ–

 それで人魚の教えてくれた「のばらのばらのばら、道になれ道になれ」という呪文を唱えてみると、雲間から月があらわれ、月光をはじいて草は草同士きらめき、道をひらいていってくれた。

 さわさわとなびく草のひびきに導かれてふわりふわりと、なんだか身軽くなって歩き続けることができた。。

 やがて草むらは途切れ、そこは崖っぷちで、海が広がっていた。目をこらすと彼方に大きな白い薔薇のようなものが、ふぅわあと浮かびあがりる。

 月光から届くひかりが、水平線に向けて水銀のように延べられて、ひとすじの道として輝き初めていた。

・・・のばら、のばら、のばら、道になれ、道になれ、道になれ・・・

 

 すると水平線の彼方まで続いていた月光の帯から、無数の白い野ばらの花びらが浮かびあがり、夜空に漂いはじめた。

 海にも空にも、白いのばらが明滅する道が、果てしなく広がろうとしている。

人魚が「のばら、のばら、のばら、道になれ、道になれ」とくちずさみつつ深海のなかを灯影となって泳ぐ姿が、ありありと浮かんだ。

 そしてわたしは何処かにあって何処にもない、のばら駅の入り口に向かって歩きはじめていった。

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