未知の囀り Ⅱ

未知の囀り Ⅱ

 予感めいた気配が終焉と結びついてしまうのは、なぜだろう。ときめきの回帰する場所とは、既に彼岸なのか。

 中学生の頃、手乗り白文鳥を家で離し飼いにして飼っていた。文鳥は人間になつく珍しい習性をもった鳥で、雛の時から割り箸に餌をのせて食べさせてやったりするので、気持ちがすぐに乗り移ってしまう。けれど飼育がなかなか難しく、外へ飛び立ちたいという思いの強さのためか、最初に飼った一羽も二羽も鳥篭に嘴をぶつけて、すぐ死んでしまった。そこで次に飼った白文鳥二羽をポンとチーとよ名付けて、部屋に放し飼いにすることにしたのだ。なぜポンとチーと名付けたのかというと、高校教師であった父は、その立場も省みず同僚教師を呼んでは土、日曜ともなるとわが家で麻雀をし、余りにおもしろそうなので見学している中学生の私もルールを自然に覚えてしまい、メンツの足りない時は仲間に入ることもあって、自然にポンとかチーが身についてしまったからだ。ポンとチーは「鳴く」のである。
 高校教員に交じって、あっ、それポンとかいって麻雀している中学生も珍しかったかも知れないが、生徒への本音、現校長のアホさ加減を、麻雀牌を繰りながら平気で語る教員の肉声が生々しく、それなりに楽しいというか、人生勉強にはなった。母も高校教師だったので、子供の頃から「教師といっても俗物が多い、っていうか俗物そのもの」という事を繰り返し聞かされてきたため、実際の「俗物」の本音を聞いても特別驚くことはなかったが。

 ポンの方は飼って10日もしないうちに欄干に嘴をぶつけてしまい、しばらく両手で暖めたが、目を閉じたまま硬直してしまった。死が硬直であることを、その時初めて実感した。チーは家の居住空間に馴染んで、家族の一員となり生き延びた。まさに「生活をともにする」という感覚であり、夕食時になると、その気配を察知して、自分も一緒、という感覚で肩に乗り、食べ物をせがむのだ。水浴びが大好きで、台所で蛇口から水を迸らせると、すぐに飛んできて肩にとまる。食器洗い用の盥に飛び移って、まだ水が溜まっていないのに、その縁に沿って水浴びをする仕草をするのだ。そのうち盥の縁を緩やかにめぐって、最高最適なポジションを体得し、それは「盥をめぐる舞踏会」のように洗練されていった。喜怒哀楽がはっきりしていて、餌やりを途中でやめたりすると怒ってルルルルルルと喉を震わせて身体を振り子のように揺すり、嬉しい時は全身を膨らませて首を左右に振るのである。下から上へと瞼の閉じる瞬間が何より愛らしい。そうやって1年以上、家族の一員として暮らしてきたのだが、或る日の夕方、剣道の部活動を終えて家に帰るとチーがいない。母が、うっかり開けっ放しにしてしまった窓から飛び立っていってしまったと、悄然と告げた。母もあちらこちらと捜したようだが、どうしようもなかったという。全身の青アザが、その時いっせいにしくしくと痛みはじめた。その当時わたしは、態度がゆるい、ということで、連日のように先輩から猛特訓を受け、脇の下は蚯蚓腫れ状態、腕や太ももは青アザだらけだった。今思えば、いじめの標的にされていたのだが、親に話したことはない。発熱があり、すぐ床に臥してしまった。

 悪寒と悲しみで眠れなかった。死んだわけじゃない、と何遍も自分に言い聞かせようとするのだが、身体が震えてしまう。翌日40度近い高熱が出て学校を休んだ。 
 日昼、チーの逃げていった窓を開け放っていた。もしかしたら戻ってくるかも知れないと思って。アルミサッシ一枚分の切り取られた空が、頭上に浮かんでいる。その時ふと、一枚の空が自分を吸収して彼方へ運ぼうとするエネルギーを全身で感じた。「ここだけで生きなくたっていいんだよ」という気配が、ふわっと染み込んできたのだ。自分が、自分という存在が,失われつつあるものと共存することでしかあり得ないということが、なぜかありありとわかったのである。無理してこの世の背丈にあわせなくたっていいんだよ、じゃあ、どこへいけばいいの?

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