人形復元士

人形復元士

( 私が生息しているのは水底のような場所で、人間の形をした漂流物として浮き沈みしてきた)

 玉川上水沿いの木立はすっかり青葉若葉で、そこをくぐに抜けくぐり抜けしていると、血管に青緑の血がさらさら混じる。そろそろ樹木になるのもいいか。
身体をめぐる血の色が赤から緑に変わろうとしている。身体流動化現象だ。生命の進化の過程ではヒトよりも植物が先、だから樹液と血液は、時空を超えたどこかで繋がっているはずだ。つまりどこかで溶け合っている聖域がある。

 植物/動物、というカテゴリーを無効化してしまうような場を夢みること、木洩れ日を浴びるとヒトは少しづつ樹木化する。
 緑から赤、赤から緑へと、血の色の移ろうに任せればよい。無理して人間のフリをしている必要もない。擬態としての樹木化、佇ち尽しているのに退屈したら100年後に人間に戻るのも悪くない。

 市役所都市計画課から「玉川上水の美化、及び環境保全に不適切」とされて黄色のビニール紐を巻かれ、この世からの「除外宣告」された樹木たちの処刑は、すみやかに為されたようで、真新しい切り株が、ところどころに曝されている。しかし切り株とは樹の屍体ではない。崖面に沿って露出している根の形状をみれば、それがよくわかる。切り株になっても根は数メートル下の水域をめざして蔓延り、蠢いている。いわば成長を断念した第二の人生が、切り株だ。樹木の幹や枝や葉はただひたすら光りに向かって健やかに伸び続けてきたが、ある日それは切断され、以降は成長を断念した眼差しとして、宙に向き合うものとなる。同時に根は暗闇のなかで、ひたすら地中を彷徨い続けている、断念の後の夢を模索して。
 
玉川上水沿いの、特に西武線「鷹の台」駅から「玉川上水駅」に至る遊歩道は、木の根の感情が生々しく息づいている様が、都内では珍しく、ありありと眺められる場所だ。通常なら眼に見えない世界が露出している遊歩道—–ここでは非日常的風景が日常と化しつつある。崖にしがみつく様々な木の根の形状が、意識下に蠢く奇怪な想念を誘発させる。翅を拡げた始祖鳥の化石を象った根や、、巨大な蝦蟇となって崩落寸前の幹を支える根塊・・・、それらは静的な植物という範疇を越えつつある。
植物でも動物でもない、崖ごと揺るがして何かに変容しようとする目に見えないエネルギーが、四肢の毛穴を通じて惻惻惻惻惻、伝わってくる。

崩落あれ崩落あれ、この水域に、ここが苦境、われの産土

植物でも動物でもない、崖ごと揺るがす気配に導かれて、精霊の歩みをはじめる。崩落あれ崩落あれ、この水域に、ここが苦境、われの産土、崩落あれ崩落あれ、この水域に、ここが苦境、われの産土、この水域に崩落あれ、ここが水域、われの産土・・・。産道を苦痛に歪んだまま通り抜けようとする胎児の表情が、真新しい切り株の断面に一瞬浮かんで消える。刻一刻断末魔でなければ生きられぬ。

切り株の断面と、産道をくぐり抜ける胎児の苦悶の表情が重なってしまうのは、何故なんだろう。何故宇宙の漂流物としてこの世に生まれたのか? 

 夢魔の風に曝されつつ歩いていると切り株から地中へ放たれた根の形状が意識化の闇にまで侵食してきて、根塊の呻き声が身体を貫きひりひり震えるようだ。しかし折々に透きとおったアポロ的響きが交じり、そのたびに私は立ち止まる。水流の響きだ。この時、魔物めいた形状の根塊たちも、その水流に聞き入っているのが、ありありと感じられる。
息詰まるほどに夢魔的でありながら、生き生きしたアポロ的世界にも通じる場所が玉川上水だ。崩落すると思えた崖は水流を透明に木霊させて、切り株の孤高の魂を発光させる。

ありありと十字架に架けられたイエスの苦悩を象った切り株をみつけてしまう。伐られたばかりの切り株はイエスの頭部のようであり、樹の瘤が何かを呟く唇のように啓かれている。
—ラマ、ラマ、ラマサバタクニ—(神よ、神よ、なぜわれを見捨て給いしかか)その切り株から、胴体と見紛う太い根が露出し、さらに水辺まで二股に分かれた根が垂れさがる。また切り株から水平に、両腕を広げるように根が蔓延り、さながら「崖面に磔にされたイエス像」となって、現出している。
この切り株のある場所は、河床に段差があり、水流が細やかな結晶体となって響きあうところでもあるので、立ち止まって、全身の皮膚感覚を耳にして、水の響きを体感してみる。「切り株にされてしまったイエス」とともに。

 その水流の真下に、なにか黒髪の靡く気配がした。木立と水界と崖の割れ目のような場所に、その黒髪は靡いてやまなかった。入水したオフェーリアを連想させる。髪は水没しているのに乾いていて、虹のように色彩が幾重にも舞い降りていた。人形なのだろうか、うつ伏せの姿勢で浮き沈みしている。

「すくってください!あの人形」
不意に背後から声がひびいた。
長い髪を無造作に後ろに束ねた、年齢不詳の細面の女性が、険しい眼差しを私に向けている。(掬う?救う?)といっても、河床には立ち入り禁止で、人形とおぼしきものはは数メートル下の崖下の流木にひっかかっているのだ。
「流されてしまいます。永久にこの世に戻れなくなってしまいます。救ってください。」
 女性の声には有無を言わせぬ切迫したひびきがあったので、理不尽な命令だと思いつつも柵を乗り越えて崖に向かった。幸いそこは緩やかな段差がついていた場所だったので、水辺まで降りることができた。裸足になってズボンの裾をめくり、膝まで水に漬かりながら人形に近付く。なぜかモーツァルトのラクリモザの旋律が蘇る。この世に無意味と思われる行為こそ崇高だ。

 黒髪と背中が水流に曝されている。上半身を覆っている繭色のワンピースのフリルが靡きつつ煌いている。
 黒髪を抱えるように水底から人形体を剥がそうとする。半身を折り曲げた形で水没していたので、両足が跳ね上がり、体長は1メートルほどになった。

 重い。人間の重さが、両腕に感じられる。まさか・・・思わず人形を表返してみる。黒目勝ちの瞳、秀でた鼻梁、やわらかな微笑を湛えた唇・・、限りなく人間に近い美しい少女の表情といっていいだろう。だが次の瞬間、眼窩が落ち窪んで真闇となり、唇は何かを叫ぶようにOの形に開かれた。そして両眼の窪みから唇から、夥しい緑のどろどろしたものが溢れ出したのだ。真緑の血だ。
断末魔の顔貌。

 わぁぁぁぁぁああああ・・・

 自分が叫んだのか、人形が叫んだのか、得体の知れない恐怖を感じて人形を投げ出してしまった。水流が夥しい真緑に染まってゆく。
植物でも動物でもない、人間でも人形でもない、「ただそこにある塊」がひたすら怖かった。
「何してるの!永久にこの世に戻れなくなってしまいますよ。救ってください!」
 女の切迫した声が再び頭上からひびく。気を取り直して「その塊」を掬いあげる。すると塊は人形の軽さとなって、表情も元に戻っていた。人形の内部に水が溜まり、それが溢れ出しただけだったのだろうか、だが、なぜ真緑に染まったのか。
人形を脇に抱えて、木の根を摑みながら四苦八苦して崖を這い上ると、バスタオルを握りしめて女が立っていた。いつ用意したんだ。ねぎらいの言葉もなく、女は無言で人形を受け取ってバスタオルで包み、一心不乱に水気を拭き取っている。正気なのか?ぴりっと神経の張り詰めたような年齢不詳の女の表情は、どこか人形の顔貌にも似通っている。人形の母親でもあるように。その時、人形の左腕が、だらんと垂れ下がり、指先が微かに動いた。甲の真ん中あたりに豆粒のような疣が浮かんでいる。それが奇妙に生々しく、この世からはみ出している突起物のように思えた。
「わたしは人形復元士です。拾ってくれてありがとうございます。この人形はあなたのものです。復元したらお返ししますので、連絡先を教えてください」
 バスタオルを押し付けるように差し出してきっぱりした口調で言った。それ以上のプライベートな関わりは一切御免、という雰囲気だ。そういえば私もずぶ濡れだった。最初にバスタオルが必要なのは生身のヒトである私の方だろう。携帯の番号を教えると、女は人形を抱えたまま、そそくさと立ち去った。ピンク色のママチャリに乗って。人形は前籠に置かれ、名残りおしそうな眼差しを、一瞬私に向けた。
 
 暗闇のなかで目を見開く。地中の根の塊が蠢くように。いつも午前4時頃には目覚めてしまう。人形を救い出したことが、夢魔のように思い出される。確かなことは、キリストによく似た切り株と、人間のように黒髪を靡かせていた人形と、私が、同じひとつの水流のひびきに耳を澄ませていたということだ。いや、もう一名の「人形復元士」とともに。「人形復元士」という職業が、この世に成立しているのか。
 人間でも人形でもない塊を両腕に抱えた感触が、ありありと蘇る。不意に眼窩が落ち窪み、真闇の空洞となった両眼、Оの字に開かれた唇、そこからどっと溢れ出した、どろりどろりとした緑の血のようなものはなんだったのか、人間でも人形でもない、断末魔の塊のようなものを一瞬抱えてしまったのだ。玉川上水の漂流物になりたかったのは自分自身ではなかったか。少しづつ少しづつこの世の掟からはぐれて、人間ならざるものに近付きつつあるのは、かなり前から自覚してはいたが。
 左手の甲のあたりがしくしく疼くので、夜明けの薄明に曝してみると、豆粒のような疣が浮かんでいる。人形の甲に露出していた突起物と同じものだ。デス・スピリット(死の芽)だ。ついに身体に現われてしまったのか。
人形あるいは漂流物と、死の芽を共有したのだ。

 数日後、人形復元士から連絡が入る。
「人形は復元されました。T駅Tデパートの屋上庭園、明日正午に来てください」
 一方的に携帯に告げて、一方的に切れた。Tデパートなら偶に利用するが、屋上庭園なんてあったのだろうか。私の左手甲の疣は少しづつ膨らみ、パチンコ玉大となり、ついに家人からも見咎められるようになってしまった。
「どうしたの。気持ち悪い、病院に行きなさいよ」
 冗談ではない。病院の検査によって、漂流物になりかかっている魂の、何がわかるというのか、私はデパートの屋上に行くしかないようだ。

 平日のデパートは、客よりも店員の方が多いと思える空間だ。人間よりもマネキンが多く、しーんと鎮まりかえっているようで不可思議にさざめいている。
そこには1階から8階まで吹き抜けになっている空間があり、階段(エスカレーター)は、それに沿って続いている。

 T駅のTデパートは透明な断崖を抱えているデパートだ。3階以上からは自殺の名所ともなり得るような、張りつめた人工物としての断崖の気配に満ちている。硝子張りの断崖、そこから身体は空瓶となって落下し,無色透明な破片となって砕け散ることができる。このような場所でしか異界から現われてくる少女に、出会えないだろう。

 「1階から8階まで、エスカレーターでのぼってみるが、異界に誘う少女はいなかった。8階から1階まで、またエスカレーターで戻る。やはり少女はいなかった。しかし見上げると、天井にうごめいているものがある。赤い鞠が貼りついているのだ・・・。よく見るとそれは風船だった。そういえば駅前で配っていたっけ。手放した風船が、その天井までたどり着いたのだろう」とも、かつてのブログで書いた。

 Tデパートの屋上庭園は、真新しい廃墟のようだった。いろとりどりの動かなくなった電動木馬が、「遊牧園」と名付けられた花壇の片隅で、風にカタカタ鳴っている。メリーゴーランドの撤去跡は、ただまぶしい光の広場となっていて、数羽の鳩が群がっているだけだった。そういえばデパートの屋上といえば、子供の頃から特別な場所だったはずだ。「R」とはなんの略なのか、いまだに知ろうとも思わない。ただそれは、地上の現実から、ほんのわずか、しかし決定的に隔たっている場所であることは確かなことだ。
 ここはRだ。未知の世界にときめく地帯だ。
しかし、今ここには何もない。庭園風にアレンジされた廃墟が広がるばかりだ。
広場の片隅のベンチで、赤い風船を持った少女が、一人で坐っている。黒髪が靡き、繭色のワンピースの襞が揺らいでいるが、背中しかみえない。

私はその少女が何者であるのかを生まれる前から知っていると思った。「魂の伴侶(ソウルメイト)だ。死の芽をわかちあっているはずなのだ。

「人形復元士」の姿がみえない。人間でも人形でもない少女は、ひとりでここに来たのだろうか。私は少女に話しかけることが出来るだろうか?

 その時、少女が赤い風船を手放した。それは風の気配などもろともせず、ただ真っ直ぐに上っていった。空葬のように。
 

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