2013年4月のアーカイブ

七、三でいいですか?

新街道と旧東海道の仲仙道に連なる街道とが交差する地帯を、少し入ったところに純響社の事務所はあるが、路地が複雑に入り組んでいて、少し冒険心を起こして違った小路などを曲がると、たちまち迷ってしまう。過去と現在とが微妙にずれたまま交じり合っている一角であり、場合によっては何時間も彷徨い続けることになる。路地に迷いこめばこむほど家の奥から、きらっきらっと硝子や鏡が瞬く気配が濃くなり、それに導かれてさらに奥へと前のめりに歩き続けると理髪店やら硝子店に行き着くのだ。
 路地奥には透明な断片しか売る店しかないが、その断片から途方もない彼方が、さらに生み出されようとしている。だから奥へ奥へと路地の最果てに向けてさ迷うしかない、鏡の国のアリスのように。

 見ず知らずの人形が抱いている夢想に誘われるように、見ず知らずの路地を求めてさまよい続けている、毎日、毎日、だから日々迷宮だ。

 その日も染井吉野が咲き残っている路地に魅かれて、曲がり続けているうちに方角がわからなくなってしまった。すると住宅街のただ中に不意に墓地が現われた。百基以上の墓がありそうだが、高い塀に取り囲まれているため、中はみえず、沢山の卒場塔の先端だけが、この世からはみ出してしまったように眺められる。その時、墓地内から幼児たちの歓声が、いっせいにひびいてきた。だが、あたりを見回しても、幼稚園らしき施設はない。あきらかに墓地のなかから、その声声はひびいてきている。幼い子供の声、というのは、特種な周波数をもったひびきであり、ただひたすら生きるために弾んでいる声のカタマリ、天空を突き抜けるエネルギー体だ。死者たちの沈黙の声声が、ひたすら地下に沈みこむしかない墓地という場所とは、本来、相容れないはずなのに、幼児と死者が相和しているような錯覚を与えられる。
 墓地を遊び場として開放している新しいタイプの幼稚園? だが、日本のどのような地方自治体からも、認可されることはないだろう。

墓地と小路を挟んだ真向かいの場所に「バーバーゆりかもめ」という看板を掲げた、モルタル2階建ての昭和レトロな床屋があって、旧式なねじりん棒がくるめいている。店先にはなぜか、壊れかけたようなおでんの屋台が置かれていて、長年にわたって理髪店とおでん屋を兼務しているのかとすら思えた。この店なら「墓場幼稚園」の事情を聞けるかな、と思って扉を開けたのが運のつきといえばいえた。
理髪店に入るや否や、待ち構えていたように、「ゆりかもめへようこそ」と老夫婦が声をあわせてお辞儀して、3席しかない床屋台に導かれ、老婦人は慣れた手つきでさっと、エプロンをひらき、わたしの首にまきつけた。その間、わずか数十秒。
「七、三でよろしゅうございますね」
 「あっ、はい、」
 訳がわからぬまま相槌したことが、事態をますます悪化させてしまう。
・・・わたしは客ではありません。たまたま通りかかっただけなのですが墓地から幼稚園児の声がびいてきたので、これはいかなることかと、真向かいにあるバーバーゆりかもめさんに立ち寄った次第です・・・
 という言葉を発する前に、熱いタオルが顔面に乗せられ、わたしを乗せた床屋台はずんずん水平化してゆく。いきなり魔術にかけられてしまうのか。

「まず御髪を綺麗にしていただく、それが当店の流儀でございます」
馬鹿丁寧な口調とは裏腹に、この店の断固たるシステムが確立されているらしく、通常ならシャンプー台で行なわれる洗髪を、この場でやるため、盥に汲まれた湯が恭しく台に乗せられて運ばれてきた。老婦人の手により、丁寧に髪が洗われ、何度も盥のお湯は汲み替えられた。なにかしら神聖な儀式のようだ。
 床屋台が元の位置にまで戻され、タオルで一粒残らず髪の水滴が拭われると主人の出番である。小柄な婦人に比べて、主人は老人にしてはがっしりした熊のような体型で、腕には白毛交じりの毛がもじゃもじゃ生えているのに、頭髪はほとんどない。禿げ頭であることと理髪師としての職業能力とは直接関わることではないが、若干の不安をおぼえてしまう・・・っていうか、そもそも客として来たのではないのだ。

 わたしは17歳以降、床屋というものにお世話になったことはなく、何十年にもわたって、「いるかに乗った少年」で一世風靡した城みちるもどきの、旧アイドル系髪型を維持してきた。床屋にいかなかったとはいえ、もちろん伸ばしっぱなしにしていたわけではない。自己理髪店をひそかに開業し、ひたすらおのれの髪を刈り続けてきた。時に無残な失敗はあり、髪が伸びるまで何ヶ月か家に引籠もることもあったが、年月を経るうちに腕をあげて、「みっともね」「あっちへいってけれ」といった無神経な家族、親戚縁者の声は聞かれなくなっている。ジブンだけを納得させて技術を磨くという修業時代を経てきているのだ。「自己理髪師」としての。くどいようだが、自分自身が修業の目的であり、その達成であると客観的に位置付けているので、決してナルシシストではない。そして旧アイドル系とはいえ、自分の生き方を反映して、決して頭髪に筋をつけない曖昧模糊とした髪型を持続してきた。そんな男の生き様が今、崩壊させられようとしている、七、三の名のもとに。

髪型にきっぱり浮かぶ男の花道、男の街道・・・高倉健、渥美清の髪型にその筋道があったかどうか・・・七、三は一度もなかった気がするが・・・。あるいは三島由紀夫も川端康成も芥川龍之介も・・太宰治は七、三からもっとも遠い・・なぜ「髪型から辿る文士の内面」という本が一冊も書かれていないのか・・などと雑念にまみれているうちに、禿熊老主人によって「わが髪七、三化」は厳かに進行してゆく。厳つい風貌とは反比例して、禿熊老主人の手先は実にしなやかに軽やかに、首筋からこめかみに至るまでの髪を刈り込んでゆく。

「お客さん、太くてしっかりした髪ですねえ、日本髪が結えますよ」

 禿熊老主人は、その風貌とは裏腹な、艶めいたなめらかな口調で、わが髪を愛でた。首筋に鼻息を微かに吹きかけて。そういえば17歳の時、最後の床屋に行った時も、東京最西部にあるT駅の理髪店の老主人から同じことをいわれたのだった。もんのすごく無口で幼稚園児が無垢のままそのまま成人したような老夫婦が営んでいる「バーバーことり」で、わたしも死ぬほど無口な高校生だったにもかかわらず、そのひとことだけ話しかけられたことを思い出した。それが褒め言葉だったのかどうかは、未だに判断がつかない。
 だがアイドル系だった17歳の時ならともかく、いまさら日本髪を結ってどのような現世にデビューを果たせばいいのか・・・。ともあれわたしの後半生は、この禿熊老店主の手さばきにより七、三に仕分けられようとしているのだ。

 耳を澄ます。墓地の方向から確実に幼児たちの声は高まっている。

 それでようやく現実に引き戻された。老婦人に熱いタオルを被せられて以来、すっかり客モードになってしまったが、ほんらい墓地と幼児の声との謎が知りたくて入店したのだ。店主の剃刀は、首の真後ろの、針一本刺せば即死するいったいを上下しているので、もう帰りますとはいえない。

「目の前の墓地から幼い声が弾んでいる気がふとして、それでなぜなのかなあ、と思って・・・ゆりかもめさんならご存知かと・・・」
 声が思わず震えてしまう、なんで、ゆりかもめさん、と、この得体の知れない老夫婦をひとまとめにしてしまったのか、後悔の念が積もってくる。だいたい勝手に夫婦と思い込んでしまっているが、もっとワケアリの複雑な人間関係かもしれないのだ。まさかこの問いかけで、咽喉笛を破られることはないだろうことを祈る。

「あああ、この前の墓地はもともと幼稚園でしてね。実はわたしも卒園生です。しらかば幼稚園といいます。それが五十年前に大火事があって、園舎もろとも燃えてしまったのです。飼っていたうさぎ小屋もろともに。もともとお寺さんの所有地だったんで,お墓の分譲地として、今のようになったのです」
 禿熊老主人は、わたくしの髪型の深刻な七三化を進行しつつ、手短に説明を加えた。墓地が幼稚園だったのか、幼稚園が墓地だったのか、その説明では俄かに判断できなかったが、ともかく理髪店と墓地と幼稚園が繋がったことに、ふっと、安堵した。では今聞こえてくる「しらかば幼稚園」の園児らしき声々はどこからひびいてくるのだろう?

「これからはお客様にあった手作りポマードを、作らせていただきます」
 突如、禿熊老主人は断固とした口調で、わたしの頭髪をかきまぜつつ、なにかしらの油成分をスポイトで抽出して、硝子壜に混ぜていた。
 耳を澄ます。すると墓地の方角から、ますます幼稚園児の声声が高まってくる。今、自分用のポマードが作られつつあるということより、「ゆりかもめバーバー」の老夫婦には、この幼児たちのさざめきが聞こえているのかどうかを尋ねたいのに、声がでてこない。そのうちに「新緑月光ポマードでございます」と耳元で囁かれた頭髪料が、念入りにたっぷりと頭部に塗りこまれていった。
 
 耳を澄ます。すると墓地の方角から、ますます幼稚園児の声声が高まってくる。鏡の前には七、三の髪型、特性ポマードで固められた別人格とも思わせるヤマシタマサトが映し出されている。

「3500円でございます」
 エプロンをはずして、ささっと小さな箒で、わが全身を刷き尽くすと、老夫人はきっぱりと言った。
 その値段が高いのか安いのかは、俄かに判断できない。なにしろ何十年も床屋にいったことがないから。
 
三の髪型は風通しがよく、耳はくっきり露出して、この世とあの世のひびきが等間隔に聞こえてくる。いままでは現世がノイズとなって混ざり合っていたのだ、と自分を納得させて「ゆりかもめバーバー」を出るが、以前として墓地からの幼児のさざめきはやむことがなく、それは身体の内側からずんずんひびくまでになっている。地中から沸き上がるような幼い声のパワーに促され、墓地の塀のまわりを歩き続けるが、いっこうに入口もなく出口もなく、悪夢に閉じ込められてしまったかのようだ。。
 ぐるぐる路地をめぐりめぐっているうちに再び「ゆりかもめバーバー」に辿りついてしまった。しかしその店には「本日休業」の札が、ぶらさがっていて、その札をみるまでもなく、もともと廃墟のような店の佇まいとなっていた。黒褐色のねじりん棒がかさかさかさかさと掠れてゆれている。
 すると墓地からの幼稚園児の声が、ぴたりとやんだ。

 おでん屋の屋台がない。老夫婦は、どこにいったのか。
 蒟蒻と大根、つみれに熱燗もいいな・・・七、三にぴったり貼りつけられた、新緑の香りのする髪型を撫でつつ、この世のどこかの路地で開店している、おでん屋台をめざして、さまよっていった。

新入生

 春の暴風雨のただなかに置かれていた電話ボックスからかかってきた無言電話、その彼方からの沈黙の気配が、胸に絡みついて離れない。体内の奥深く眠り続けていたセンサーを仄かに呼び覚まそうとするかのような、微かな波のとどろき・・・人類誕生以前の古代の海辺に打ち寄せていたさざ波に耳を澄ませていた気もする、誰かとともに。
 自分を超えた世界との回路が、不意に現われては消えてゆく。 春の嵐が終焉し、新緑となりつつある幻の巷を彷徨いつつ、謎のような日常に生かされている、という思いが日に日に強まる。
 自分自身が透明な電話ボックスそのものと化して歩いているのではないか、すれ違う誰もがわたしという実体に気付くことはなく、ただすり抜けてゆくだけなのだ。つまりわたしはとっくに消失していて、ただ彼方からの気配に耳を澄ませている存在と化しつつあると折々おもう。
 通勤途上の遊歩道を歩いていると、いかにも新入生だな、と思わせる小学生、中学生の男の子、女の子とすれ違う。まず、体型も歩き方もアンバランスでぎこちない。そしてどの子も真新しいズックを履いている。そのズックは途方もない世界まで歩こうとする気配を蹴り上げつつ、元の日常に自分を馴染ませようと、ひたすら歩き続けている。まかり間違えばこの世から迷ってしまう自分を、立て直そうとするから、学校まで歩く姿がぎこちなくなるのだ。
 これからヒトとして生きていくのは大変だなあ、と思ってしまう。その足音だけが、透明な電話ボックスと化したわたしの内側にひびいてくる。

 わたしも新入生なのだ。入学式は透明な電話ボックスですませた。どこの学びやに入るのかはこれから決める。

花見は暴雨風の日にするものだ(続) 電話ボックス

 その電話ボックスは、桜森のはずれの公衆トイレの傍らに、何年も前から置かれていた。誰もが携帯を持つ時代に、利用者はほとんどいないと思われるが、撤去されることもなく、むしろ孤立を楽しむように佇む姿に、日頃から同士的共感を覚えていた。全方位、透明な硝子張りというのもいい。

この世にあっては無用な存在となりつつ、彼方の気配をもっとも敏感に察知する装置とも思えるから。(隅田川沿の、難破船とも見まがうブルーシートの家も、そのようなものだったが)

 その電話ボックスの全身が今、桜はなびらまみれになって、暴風雨に晒されている。そして内側から呼び出し音のコールが響いてやまないのだ。だからボックスに飛び込み、受話器を取り上げてみるしかなかった。
「もしもしもし、もしもし、もし・・・」
 胸の奥まで、つーんとする沈黙の気配があって、その彼方には計り知れない黒闇が広がっている、と思えた。まだ解明されていない宇宙の暗黒領域(ダークマター)からかかってきたコール・・・。
 じっと耳を澄ませるしかない、沈黙と沈黙とをわかちあう世界のなかでしか出会えないなにか、、、、「沈黙魂」としかいいようのない音なき音、、、、、、、
 ふとあたりを見回すと、周囲の硝子窓にびっしり張り付いた無数の桜はなびらが眼となって、じわっと、わたしを眺めまわし、全身の皮膚に張り付こうとしている。桜花びらは沈黙を見尽くそうとするエネルギーであると、なぜかありありとわかった。
 微かに波のさざめきが聞こえる気がしたが、いきなり電話はきられ、後には救急車の悲鳴のような断絶音がとどろくばかりだった。

 電話ボックスから出ると、風雨はさらに強まり、家に帰りつくと「滅多に折れない蝙蝠傘」の骨数本は折れ曲がり、歪に変形されていた。頑丈なはずの鉄線の傘骨が折れたので、全世界の傘修理人に頼んでも治せないだろう。「滅多に蝙蝠傘の折れない日」をわざわざ選んで花見をしてしまったので、当然の報いだったのか。

花見は暴風雨の日を選んでひとりでするものだ

 暴風雨となった四月某日、桜の散り際をみたくなって、近在では桜の名所として知られているK公園に足を運んだ。突風と横なぐりの雨のなかを、通販で購入した「滅多なことでは折れない蝙蝠傘」をかざして歩き続けた。
 公園に至る遊歩道には、強風のため骨の折れたあまたのビニール傘が転がったり飛ばされたりしているのに、人の気配がない。善良なる市民は、骨の折れたビニ傘に変身させられ、吹き飛ばされてしまったのだろう・・・みんな「滅多なことでは折れない蝙蝠傘」を購えばよかったのだ。
 公園に入ると風雨にまみれた桜木たちが、花びらを飛ばされまいと身を竦めつつ、どうしようもなく花びらを散らせていた。
 散華、散華、散華・・・の真っ最中だ。
 路面には濡れた桜花びらが重なりあって、艶めかしいほどに発色している。
 桜花びらは濡れると人間の皮膚の色にもっとも近くなる。
 ヒトの皮膚から滲み出す脂じみた感覚が、濡れ濡れとした桜はなびらの表面から溶け出してやまないが、そこを踏みにじって歩くのは、なにかしら罪深い。
 「さんげさんげさんげ・・」
と呟きつつ、桜吹雪のなかを歩くと、懺悔の花びらも交じりあうようで、そのひとひらひとひらが舌に貼りついては溶けてゆく。唇をすぼめればすぼめるほど、身体がはなびらをあつめる通風孔になって、自分自身が散華化、あるいは懺悔化されてしまいそうだ。なんというほのかな甘さ、そしてほろ苦さ・・・。この季節はずれの暴風雨のためか。ジブンがサクラとなって溶け出して、地べたに吐き出されつつあるのか・・・散華とはナマナマしい肉体感覚を伴うものでもあった。

くちびるをひらけば散華のはなびらが舌に溶けつつ懺悔となりぬる  
                                 雅人

 桜森のメインストリートである「江戸東京建物園前」の広場まで歩くと、黄色い縞々模様の幾つものテントの屋根が、まだ立ち上がらない姿勢のまま蹲り、ひっそりと風雨に耐えていた。あさってから始まる「桜祭り」の準備のためだ。もう桜は散り尽くそうとしているのに、市政に従って忠実に取り行われるのだろう。
 その本部テント設営のために、全身雨合羽の数名の男たちが懸命に動いている。まず本陣を造らなければ何も始まらないのだ、という決意が、男たちの動作から感じられる。だが、台風並みの30メートルに近い風雨が吹き抜けるなか、作業は難航し、支柱を支えようとした男たちは何度もよろけて、シートは地中に崩れ降りた。ばらばらになった世界を組み立て直さなければ、そもそもこの世は始まらないのだ、というように。男たちの雨合羽も風雨で膨れている。それでも何度も挑戦し続けていた。雫を含んだ桜吹雪が飛び散るなかで。
 なんとか本部テントを設営しなければ、桜が咲いていないのに「桜祭り」を開催する、というこの世の現実との辻褄あわせに間に合わないからだ。その隙間を埋めるように、憂愁、あるいは有終の桜花びらたちが、ばたばたばた風雨に煽られ続けるテントの布にへばりつこうとしている。どんなシチュエーションであれ、男たちが全身の筋肉を張りつめさせて、ひとつの作業を完遂させようという行為は神聖で無駄なく美しい。

 永久に組み立てられることのない「桜祭りの本部テント」を永久革命のように作り続ける男たちの皮膚をめがけて桜花びらは散り続ける、べっとりと皮膚の内側にのめりこむように。

 桜の殆どは地上に散り、地上に溜まり続けて、雨水の空間にさざめいた。
 雨水の桜は、公園全体の水びたしの空間に散らばり、入水した人間の脂を浮かべているようにも見える。
 それは人間の皮膚がびっしりと張りつめてはさざめく、仮初の桜湖水だ。この桜湖水を眺めるためにだけ、最後の花見をするためにやって来たという気がしてくる。 

   花見は暴風雨の日にたった一人でするものだ。

 桜並木のど真ん中にある透明な電話ボックスが立ち尽くしていた。濡れた桜花びらが透明硝子にびっしりとこびりついて、それは「桜宇宙」としか呼びようのない小空間となっていて、雨水に浮かぶ桜並木の空間から、ほんの僅か漂っていた。それはこの世からの漂流物として、桜並木の波間を危うく揺らいでいた。
 そこから呼び出し音が響いたのだ。
 びっしりと隙間なく桜花びらの張り付いた電話ボックスに、思わず駆け込み、受話器をとる。誰が、なんのためんかけてきたのか?

 受話器の彼方にはとめどない沈黙の気配が広がるばかりだ。

(びっしりと桜はなびらの張りついた透明な電話ボックスに閉じ込められた経緯については、またいづれ)

隅田川の難破船

花冷えの日曜日、ある会合があって浅草まで出かけた。早目に着いたので、浅草橋駅で降りて隅田川沿いの遊歩道を歩いた。青いビニールシートで覆われた塊が、ぽつぽつと並んでいて、それはまぎれもなく「家」なのだった。ピラミッド型や饅頭型、マッチ箱型など、それぞれ造型にも工夫が凝らされていて同じ形はひとつもない。人ひとり分の大きさが、家の形になっていて、青いビニールシートごと呼吸しているようだ。共通しているのはブルーで統一されているってこと。ピンクやブラックやイエローのビニールシートというのは無い。そういえば花見の茣蓙、事件現場を遮蔽するカバーなどもブルーシートだ。ブルーは防御、抑制の効果があるのか。ブルーシートの家の内部には、しんと人の気配を打ち消しつつ、まぎれもなくそこに命のカタマリがあると感じさせる何かがある。そこには新聞勧誘員や保険会社のセールスレディが訪れることはなく、新興宗教の布教者すら近付かないだろう。ただ人の生身の沈黙が家の形をしているだけだ。けれど窓も玄関も郵便受けもなく、びっしりとブルーで閉ざされた空間にはヒト一人分、等身大の自由がある、と思えた。
 よく眺めると、ブルーシート家の周囲には、生活の気配を伺わせるものが、さり気なく置かれている。サボテンの鉢植え、錆びた自転車、アルミニウムの大鍋、真鍮のフライパン、ダンボールの束の上にうずくまっている黒猫・・・。
 けれど居住者の姿を見かけることは、ついになかった。
 隅田川の水位の表示があって、記録上では昭和34年の伊勢湾台風では6メートル近く溢れたという。点在するブルーシートの家々は、隅田川が1メートルでも水位が上がれば、たちまち流されてしまうのだ。河面に浮かんでいることとなんら変わりはない、つまり漂流物としての家でもある。
 壊れやすいけれど頑丈な、この世のどこにも属さない、そしてどこまでも漂ってゆける砦のようなブルーシートの家は、とてもなつかしくてやさしい、難破船のようなものなのだろうか。
 難破船の船長が、ひと家ひと家に匿われていると思ってみる。自分もそのひとりだと。
 隅田川を渡る川風が北向きに吹いてきて、今日はことさら、け寒い。
予定されている会には行かず、どこまでも川べりを歩きたい気分だ。いつのまにかブルーシートで覆われた難破船の船長として、言問橋までたどり着き、浅草市街を彷徨っていた。浅草の迷宮性についてはいづれまた。