2011年7月のアーカイブ

地デジ゜移行に関わる若干の考察

 砂嵐を眺めていた。砂丘のなかのひと粒として、私もまた微塵に砕けて飛び回っているようだった。古ぼけたブラウン管のなかで。ぼっと眺め続けていてもなにも変わらない。他のチャンネルを回しても、みんな同じ砂嵐だ。
 きっとこの国は、一夜にして廃墟と化したのだ。いつかそうなると確信していたが、ついにその日がきたのだ。

「もう、いいの」
「・・・ああ」
 妻が不機嫌そうな声を出しつつ、アナログテレビ最後のコードを引っこ抜く。ぶつりと途切れた真空の闇。そこにしか生きる場所がない。
 「地デジ移行」はわかっていたが、(なにしろ戦後初ともいえる、メディアを使った国家的洗脳キャンペーンだったから)これ以上の文明開化は必要ないと思っていたので何の対策もしてこなかった。結果として、この砂嵐である。
その時、チャイムも鳴らさず玄関の扉を開ける輩がいる。
頭髪を七三にぴっちり分けて銀縁の眼鏡をかけている。半袖の開襟シャツのボタンを胸元まで留めているのが暑苦しい。不倫騒動とかで更迭された、原子力保安委員の何某にそっくりだ。(まさか転職したわけではあるまいが)
「NHKですが、テレビの受信契約はお済みですか」
 きょとんとしてしまう。ここへ越してきた15年前にNHKの集金人が来たことはあるが、その時はまだアンテナも設置していなかったので帰ってもらい、そのままになっていてたのだ。よりによってアナログ放送終了の日に来るとは。
私は人差し指を垂直に突きたてた。レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたヨハネのように、天国を示唆したわけではない。「外に出て屋根をみよ」と奥床しく暗示したのだ。しかし律儀さだけが取柄の集金人が気付かないので「地デジ化してないの。屋根のアンテナみたらわかるだろ」と不機嫌につぶやいた。
「うちはもうテレビ観ないんですよ。一緒に砂嵐でも眺めますか」
 ほんとうに一緒に砂嵐を観ようと思って、15年前の乾涸びたかりん糖や出がらしの番茶の用意をしようとしたのに、集金人は苦笑いを浮かべて、そそくさと帰っていった。

 そういうわけでテレビ無しの日々が始まったが、少し物足りないが不自由ではない。静かな森のなかでテント生活をしている気分だ。コメンテーターの戯言等を聞かずにすむので、大脳皮質が休まる。ただ夜になると、なんとなく手持ち無沙汰になるので、図書館で紙芝居を借りることにした。娘が幼い頃は、毎日絵本とか紙芝居の読み聞かせをしていたことを思い出したのだ。
 なんでもよかったので、図書館の書棚から適当に引っこ抜く。

 「ちゅうしゃに行ったモモちゃん」
 なんとなく痛そうだ。
 「豚になった黄金仮面」
 わけがわからない。
 「テレビを観なくなったワケあり家族」
 うちのことか。紙芝居業界は大丈夫なのか。
 「牛飼いとやまんば」(ヤマンバギャルの話ではないらしい)
 まあ、このへんが無難だろう。

 いそいそと「牛飼いとやまんば」を抱えて家に戻ったが、紙芝居は「劇場」であり、誰か観てくれる人がいないと成立しないことに気付いた。家の者が相手にしてくれるとは思えないし、隣近所から子供を借りてくるわけにもいかない。とりあえず自室にこもって、景品にもらった手のひらサイズのカピワラのぬいぐるみに向けて読み聞かせることにした。
 仕事を終えて牛を連れて山中を戻る男に、やまんばが襲いかかるという民話だが、感情移入すると結構空恐ろしい。

「牛飼い、さばをくれぇ」 (腹の底からうなるような声で)
 というように、ひと言ひと言に、どう読め、という注釈がつくのだ。やまんばの要求はつぎつぎエスカレートして,牛をくれぇ、おまえをくれぇ・・・と、とことん牛飼いを追いつめてゆく。声にすら出来ない牛飼いの恐怖が、次第に画面にほとばしる。命からがら民家に逃げ込むが、それは他ならぬ「やまんばの家」だったのだ!そして、信じられぬ結末が用意されていた。(詳しくは言いません。知りたい人は勝手に調べてください)
 神の声色を使ったり、やまんばに煮え湯を呑ませたり、この牛飼いはタダモノではない。その感情の変化を声の変幻で示すのが紙芝居の醍醐味で、ひとりで読んでひとりで興奮してしまう。カピワラ人形もひっくり返って、こころもち腹をピンク色に染めてひくひくしている、ようにみえた。
 次は、ははまだひろすけの「泣いた赤鬼」を借りてこようかな、赤鬼と青鬼の心理の屈折、善と悪を、微妙な声の変化で表現してみたい・・・紙芝居から思わぬ世界が広がってくるようでわくわくする。電動紙芝居(テレビ)が根こそぎ奪っていた想像力の質を回復するのだ。
 
次の日「泣いた赤鬼」の紙芝居を持っていそいそと自室に入ろうとした時、まずい事に娘と出くわしてしまった。テレビを設置しないことで怒っていたので、なるべく顔をあわせないようにしていたのだ。

「時代の空気が読めなくなるから、テレビ買って!」

(それをいっちゃあ、おしまいだよ)