2011年5月のアーカイブ

未知の囀り

 

 

 熱は下がったが、全身が虚ろのまま、どこにも力が入らない状態が続いた。
 聞き覚えのある囀りが、空っぽの身体に響いた気がして、目を覚ました。五月の夜明けの気配が、家の内外にうっすら広がり始めている。その当時住んでいた家は甲府市街を見下ろす高台にあって、背後は「愛宕山」と呼ばれている丘のような山が連なる住宅地なので、夜明けとともに様々な鳥たちが囀りはじめる。子供の頃から夜明け前の鳥たちの囀りには自然に馴染んでいるので、異質な響きが混じれば、すぐ聞き分けられる。鳥たちの囀りは、夜明けの気配とともに地から湧き上がるように、さざめきあうものだ。しかしその囀りはチィ、チィ、チィ・・・と、どの鳥声とも交じることなく、単独であちら、こちらと彷徨っているのだ。虚ろな身体に僅かに曙光が兆した。もしかしたらチーだ。
 家を出て、囀りの行方を追いかけてみる。
 いた。斜面の葡萄畑を横切る白い鳥影がみえたのだ。その軌跡を追ってゆく。
 段丘に沿って家が建てられ、一軒づつが広い庭をもつ小公園のようで、視界が広いことも幸いした。チーは数十メートル先の民家の庭にある、柿の木の中ほどに止まった。もう朝陽は昇り初めていて、柿若葉の表裏が微風に靡き、葉脈を煌かせようとしていた。
 チーの鼓動に自分の鼓動を重ねるように、柿の木に近付いてゆく。その先は崖なので、そこで飛ばれてしまうと、もう追いかける術がない。
一歩一歩、柿若葉の緑が身に溢れ出すのを感じつつ、柿の木に身を寄せてゆく。
 ついに樹下に辿りついた。若葉の緑の諧調を朝光が滑ってゆく。
  チーは白い羽毛に薄いエメラルドグリーンの飛沫を浴びていた。、
 左右のてのひらをくっつけて、柿若葉の繁みの奥で身を縮ませている一羽に向けて両手拡げてみた。すると奇跡がおこった。チーは、その両手のなかに、さもそこが当たり前の棲家、というように、飛び降りてくれたのだ。首を少し傾げ、両足でぴょんと跳ねて。自分とチーが光りの皮膜に包まれるのをはっきり感じた。なんの手続きもなく、直接命をもつ同士が繋がったのだ。その時繋がっていたのは、チーと自分だけではない。朝陽を降り零す柿若葉、澄み渡る恍惚の青空、その宇宙の断片・・・この世と自分を隔てていた皮膜が破れて、未知のときめきを呼び覚ます風が、身体の芯を揺さぶった。
 一度逃げてしまった飼鳥を取り戻すなんて、生涯にそう何度もない奇跡のひとつといっていいのだろう。いろいろ辛いことが積み重なった少年期であったとしても、この一事だけで輝かしいものに転じたかも知れない。紛れもなく「至福」という宇宙の破片を家に運んだのだ。

それから何十年も経った今、夜明けの気配のなかで、チィ、チィ、チィ・・・と単独であちらこちらと彷徨っている小鳥の囀りに気付くようになったのはなぜなのか。それはこの世のものではあり得ない。

 少年時代の至福体験を懐かしく思い出した、という事ではない。なにか超越的なものの気配が、現在に回帰しつつある気がする。この世の果てにさざめくものたちと共鳴するのだ。虚ろな身体、死にたがりの身体に曙光が兆すように。

 

未知の囀り Ⅱ

 予感めいた気配が終焉と結びついてしまうのは、なぜだろう。ときめきの回帰する場所とは、既に彼岸なのか。

 中学生の頃、手乗り白文鳥を家で離し飼いにして飼っていた。文鳥は人間になつく珍しい習性をもった鳥で、雛の時から割り箸に餌をのせて食べさせてやったりするので、気持ちがすぐに乗り移ってしまう。けれど飼育がなかなか難しく、外へ飛び立ちたいという思いの強さのためか、最初に飼った一羽も二羽も鳥篭に嘴をぶつけて、すぐ死んでしまった。そこで次に飼った白文鳥二羽をポンとチーとよ名付けて、部屋に放し飼いにすることにしたのだ。なぜポンとチーと名付けたのかというと、高校教師であった父は、その立場も省みず同僚教師を呼んでは土、日曜ともなるとわが家で麻雀をし、余りにおもしろそうなので見学している中学生の私もルールを自然に覚えてしまい、メンツの足りない時は仲間に入ることもあって、自然にポンとかチーが身についてしまったからだ。ポンとチーは「鳴く」のである。
 高校教員に交じって、あっ、それポンとかいって麻雀している中学生も珍しかったかも知れないが、生徒への本音、現校長のアホさ加減を、麻雀牌を繰りながら平気で語る教員の肉声が生々しく、それなりに楽しいというか、人生勉強にはなった。母も高校教師だったので、子供の頃から「教師といっても俗物が多い、っていうか俗物そのもの」という事を繰り返し聞かされてきたため、実際の「俗物」の本音を聞いても特別驚くことはなかったが。

 ポンの方は飼って10日もしないうちに欄干に嘴をぶつけてしまい、しばらく両手で暖めたが、目を閉じたまま硬直してしまった。死が硬直であることを、その時初めて実感した。チーは家の居住空間に馴染んで、家族の一員となり生き延びた。まさに「生活をともにする」という感覚であり、夕食時になると、その気配を察知して、自分も一緒、という感覚で肩に乗り、食べ物をせがむのだ。水浴びが大好きで、台所で蛇口から水を迸らせると、すぐに飛んできて肩にとまる。食器洗い用の盥に飛び移って、まだ水が溜まっていないのに、その縁に沿って水浴びをする仕草をするのだ。そのうち盥の縁を緩やかにめぐって、最高最適なポジションを体得し、それは「盥をめぐる舞踏会」のように洗練されていった。喜怒哀楽がはっきりしていて、餌やりを途中でやめたりすると怒ってルルルルルルと喉を震わせて身体を振り子のように揺すり、嬉しい時は全身を膨らませて首を左右に振るのである。下から上へと瞼の閉じる瞬間が何より愛らしい。そうやって1年以上、家族の一員として暮らしてきたのだが、或る日の夕方、剣道の部活動を終えて家に帰るとチーがいない。母が、うっかり開けっ放しにしてしまった窓から飛び立っていってしまったと、悄然と告げた。母もあちらこちらと捜したようだが、どうしようもなかったという。全身の青アザが、その時いっせいにしくしくと痛みはじめた。その当時わたしは、態度がゆるい、ということで、連日のように先輩から猛特訓を受け、脇の下は蚯蚓腫れ状態、腕や太ももは青アザだらけだった。今思えば、いじめの標的にされていたのだが、親に話したことはない。発熱があり、すぐ床に臥してしまった。

 悪寒と悲しみで眠れなかった。死んだわけじゃない、と何遍も自分に言い聞かせようとするのだが、身体が震えてしまう。翌日40度近い高熱が出て学校を休んだ。 
 日昼、チーの逃げていった窓を開け放っていた。もしかしたら戻ってくるかも知れないと思って。アルミサッシ一枚分の切り取られた空が、頭上に浮かんでいる。その時ふと、一枚の空が自分を吸収して彼方へ運ぼうとするエネルギーを全身で感じた。「ここだけで生きなくたっていいんだよ」という気配が、ふわっと染み込んできたのだ。自分が、自分という存在が,失われつつあるものと共存することでしかあり得ないということが、なぜかありありとわかったのである。無理してこの世の背丈にあわせなくたっていいんだよ、じゃあ、どこへいけばいいの?

未知の囀り

 私はこの世にあっては不透明で空虚な存在だ。では、あの世から眺めれば、透明で充実した存在になれるのだろうか?)

 「彼の人の眠りは、徐かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて来る」(折口信夫 「死者の書」より)

 夜明け前に目覚めてしまうのは、まだ亡骸となっていない自分を確かめる儀 式のようなものか。睫と睫の間に溜まった真闇がくっつきあうのを、無理やりあけてみる。架空の窓をこじあけるように、この世が始まる。

 大きな柱時計を抱きかかえたまま河に流される夢をみていた。何十年も会っていない人を、夢のなかで思い出したのだ。その人の川沿いの生家の玄関には、大きな木製の柱時計がゆったりと立ちつくし、過去未来現在を含めたすべての時間が厳かに響きわたっていた。その人の故郷は自分の故郷ではないのに、その時こみあげるようなノスタルジーに打ちのめされたのだ。

・・・その人のノスタルジーが自分のノスタルジーでもあるかのような羽ばたきが夜明け前の空にひたひた打ち寄せるようだ。無色透明な鳥そのものの気配となって。

 夜明けの気配と鳥の囀りは響き合っているので、皮膚感覚で彼方を感じてみる。その第一声は大抵烏だ。夜明け前の中空を、太々とした鳴声が貫いてゆく。暁の光芒を嘴を開けて呑み込んでいるに違いない。鳴声だけで、その形がありありと目に浮かんでしまうのは烏ばかりではない。ち、ち、ち、ち、ち、と短い分散和音が光りの飛沫となって舞い上がるのは雀だ。目白はさやさやとした清流のひびきを含ませてツピツピツピツピと鳴き、しばらくするとキジバトのくぐもった声が、夜明けの空気をややメランコリックに震わせる。森のなかの一軒屋ではない。東京郊外の普通の住宅街だが、玉川上水という水源域が近くにあるためか、数種類の鳥が夜明けとともに囀りはじめるのだ。

 だが最近、その鳥の囀りのなかに未知の鳥の囀りが交じるのを感じるようになった。未知、というよりこの世のものではない気配、その響き。この世にはつねにあの世のさざめきが交じっている、それを偶々聞き分けただけなのかも知れない。

 けれど呼ばれているのだ、その未知の囀りに、夜明けの気配とともに

永久橋まで 「前回続き」

屋上庭園にて)
 私は少女に歩み寄ろうとした。だが近付こうとすればするほど、遠ざかってい くような錯覚に捉われはじめる。鏡のなかの世界に、永久に辿りつけないように。その時、少女の声が聴こえた。いや、正確にいえば感じられたのだ。意識の奥に伝えられるスピリットとして。言葉を交わす、とうよりテレパス、つまり微細な感覚の波動が一致して慄えだしたのだ。

「それ以上近付くとわたしは消えてしまうわ」
「けれど人形復元士は、ここに来いと指定したんですよ」
「あなたに気付いて欲しかっただけ」
「なにを?」

少女と私はいつのまにかテレパスで会話が出来るようになっていた。しばらく沈黙の後、少女は伝えた。

 「風」

 少女と私との距離には、微かな風が流れていた。近付くことも遠ざかることも出来ない「距離」に。この世の枠が脱落してしまった余白に、その風は吹いている。そこに澄んだ水流の音がまじる。この世の現実が少しずつ異界化するような場所でしか、少女と私は出会えないことが、なぜかはっきりわかった。
 少女との十数メートルほどの距離を縮めることが出来ない。ベンチに坐った少女の背中しか眺めることが出来ない。この前みた時よりも、僅かに黒髪の尖が伸びて肩にかかっている。繭のような衣服が全身を覆っている。
 
「君のことをずっと前から知っている気がする」
「生まれる前から、でしょ」
「どうしてそれがわかるの」
「さよなら、しかないから」

 少女はさっき赤い風船を手放した左手を、別れの合図のように挙げた。その左手の甲の真ん中あたりに、赤黒い豆粒ほどの疣が膨らみかかっていた。私と同じように。少女と共有している「死の芽」だ。少女は人形だった時より、少し大人びたようにもみえる。近付こうとするが、どうしても足が動かない。

「また、会えるかな」

 風と水流の響きにまじって、愁いを含んで甘やかなハミングが、しばらく聴こえた。それが少女の答えだったのだろうか。つぎの瞬間、屋上の彼方の青空に突然架空の窓が無数に開かれ、そして閉じられ、少女はその窓の何れかに吸い込まれるように、たちまち消え失せてしまった。電気の入っていないいろとりどりの電動木馬が、いっせいにかたかた鳴りはじめた。デパートの屋上庭園の不透明な空虚な物体として、私はたったひとり、取り残されていた。
 最初から迷子になることがわかっていて、誰にも知られず硬貨を握りしめて屋上Rをめざした幼年時代のことを、ふと思い出した。地方都市の岡島デパート屋上・・・ただ硬貨を入れれば動きはじめる木馬に乗りたかっただけなのだ。

黙り続ける木馬の背中がさみしくて銀の硬貨をそっとすべらす

木馬は一生涯、ぴくりとも動かなかった。

(魔除けの布まで)
 
  屋上庭園で少女とテレパスで交信して以来、この世の現実と、自分自身との辻褄が少しづつずれていくのを、ひそかに感じていた。現実とはもともと異界化されるためにある、いや異界が否応なく突出する空間の感触こそリアルだ。私の左手の疣はますます盛り上がり、まわりの筋肉も少しづつ腫れあがってきた。身体の一部から、次第にこの世ならざるものに変わり始めているのか。異界を吸収しているのだ。少女の掌の疣も膨らんでいるのだろうか。その後、テレパスで少女との交信を試みるが、なんの応答もない。

 翌週の土曜日の夕方、、私が世話役として長く続いている月例の短歌の会が、高田馬場であった。いつもは馴染みの居酒屋で二次会をして午後11時前に散会するのだが、もう一軒ということになり、編集者のIさんと女性歌人のホープとして注目されているTさんと、パブ風の店に入った。Iさんは学生時代はずっと馬場の下宿で暮らし、Tさんはもとより新宿育ちで大学は早稲田、私も結婚前後の6年間、長女が生まれる頃まで馬場のマンションに住んでいたので、自然と「高田馬場つながり」という雰囲気になる。こういう目に見えない「空気の共有」は、シャボン玉が纏う虹色みたいな感覚を分ち合うことで、それ以上なにもないところが、いい。ぱちんぱちんと弾け飛んで、跡形も無くなってよい、という感覚を共有できるから。週末なのでパブは混んでいて、3階まで昇り、プロペラの扇風機が頭上でくるくるまわる片隅のボックス席で、冷えたジンライムを何杯かお代わりした。Tさんは高校時代ブラスバンド部でトロンボーンを吹いていたが、団地に住んでいたので騒音トラブルにならないように、お風呂場で喇叭口に布きれを詰めて、ひたすら練習に励んだという。

 どんな布だったの?

 その答えを覚えていないのは、私が酔いすぎたせいかもしれない。午前1時を過ぎてしまい、IさんもTさんも、それぞれタクシーで帰っていった。私は、といえば小平市にある自宅まで歩いて帰ろう、ということしか思い浮かばなかった。自宅まではフルマラソンより少し短い40キロぐらいの距離、速歩で6時間ぐらいで着くというのは、以前から見当をつけていた。早稲田通りをひたすら、戦前の日本陸軍に規定されていた時速6キロのペースで歩き続けるのだ。2時間、3時間、と酔いのため心身がハイになっているためか、「一人行軍」を続けることが出来た。Tさんのトロンボーンの話を聞いたためか、トロンボーンの響きにボーンボーンと背中を押されているような気分で歩き続けることが出来た。けれどトロンボーンってどんな響きだっけ。あまり単独で聴いたことはない気がする。そういえば昨年死去したクレージーキャッの谷啓はトロンボーンの名手だった。ガチョーン、彼方と今を響きあわせる金管楽器・・・

 早稲田通りがようやく尽きて、青梅街道にさしかかる頃、夜が白みはじめてきた。酔いも醒めてきて、さすがに息があがっている。気が付くと橋の欄干に身をもたせていた。

「永久橋」

 そんな橋が、あったのか。

「絶壁ばかり」
「え?」
「この世はどこも絶壁ばかり」

 少女のテレパスだ。

「手放すのよ手放すのよ手放すのよ」
なにを?どのように?
「あなたと私を区別するものがなにもないとわかるところまで」

 永久橋の欄干から、ともかく離れる。あまり早く歩きすぎたせいか、怒涛のように疲労が押し寄せてくる。青梅街道を渡ると「永久橋」のバス停があった。ベンチがあったので、倒れこむように身体を沈めた。それからしばらく眠ってしまったのか。眼を開けると、世界は真っ白だった。あらゆるものが影を失う世界。いつのまにか前後左右も定かでない濃い霧がたちこめていた。ここは地球の極東の一都市の郊外なんかではなく、なにかを途方もなく夢みたり、思い出したりするような、宇宙の辺境なのだ。トロンボーンが、遠くはるかに、微かにくぐもって響いた気がした。喇叭口に詰め込まれた布は、「人生の魔除けの布」だったのかも知れない。

 濃霧の彼方から、テールランプを灯したしたバスが、ゆっくり近付いてくる。
 ステップドアがゆっくり開き、愁いを含んで甘やかなハミングが、ほのかに零れた。

 トロンボーントロンボーンは響くかな 永久橋まで魔除けの布まで

人形復元士

( 私が生息しているのは水底のような場所で、人間の形をした漂流物として浮き沈みしてきた)

 玉川上水沿いの木立はすっかり青葉若葉で、そこをくぐに抜けくぐり抜けしていると、血管に青緑の血がさらさら混じる。そろそろ樹木になるのもいいか。
身体をめぐる血の色が赤から緑に変わろうとしている。身体流動化現象だ。生命の進化の過程ではヒトよりも植物が先、だから樹液と血液は、時空を超えたどこかで繋がっているはずだ。つまりどこかで溶け合っている聖域がある。

 植物/動物、というカテゴリーを無効化してしまうような場を夢みること、木洩れ日を浴びるとヒトは少しづつ樹木化する。
 緑から赤、赤から緑へと、血の色の移ろうに任せればよい。無理して人間のフリをしている必要もない。擬態としての樹木化、佇ち尽しているのに退屈したら100年後に人間に戻るのも悪くない。

 市役所都市計画課から「玉川上水の美化、及び環境保全に不適切」とされて黄色のビニール紐を巻かれ、この世からの「除外宣告」された樹木たちの処刑は、すみやかに為されたようで、真新しい切り株が、ところどころに曝されている。しかし切り株とは樹の屍体ではない。崖面に沿って露出している根の形状をみれば、それがよくわかる。切り株になっても根は数メートル下の水域をめざして蔓延り、蠢いている。いわば成長を断念した第二の人生が、切り株だ。樹木の幹や枝や葉はただひたすら光りに向かって健やかに伸び続けてきたが、ある日それは切断され、以降は成長を断念した眼差しとして、宙に向き合うものとなる。同時に根は暗闇のなかで、ひたすら地中を彷徨い続けている、断念の後の夢を模索して。
 
玉川上水沿いの、特に西武線「鷹の台」駅から「玉川上水駅」に至る遊歩道は、木の根の感情が生々しく息づいている様が、都内では珍しく、ありありと眺められる場所だ。通常なら眼に見えない世界が露出している遊歩道—–ここでは非日常的風景が日常と化しつつある。崖にしがみつく様々な木の根の形状が、意識下に蠢く奇怪な想念を誘発させる。翅を拡げた始祖鳥の化石を象った根や、、巨大な蝦蟇となって崩落寸前の幹を支える根塊・・・、それらは静的な植物という範疇を越えつつある。
植物でも動物でもない、崖ごと揺るがして何かに変容しようとする目に見えないエネルギーが、四肢の毛穴を通じて惻惻惻惻惻、伝わってくる。

崩落あれ崩落あれ、この水域に、ここが苦境、われの産土

植物でも動物でもない、崖ごと揺るがす気配に導かれて、精霊の歩みをはじめる。崩落あれ崩落あれ、この水域に、ここが苦境、われの産土、崩落あれ崩落あれ、この水域に、ここが苦境、われの産土、この水域に崩落あれ、ここが水域、われの産土・・・。産道を苦痛に歪んだまま通り抜けようとする胎児の表情が、真新しい切り株の断面に一瞬浮かんで消える。刻一刻断末魔でなければ生きられぬ。

切り株の断面と、産道をくぐり抜ける胎児の苦悶の表情が重なってしまうのは、何故なんだろう。何故宇宙の漂流物としてこの世に生まれたのか? 

 夢魔の風に曝されつつ歩いていると切り株から地中へ放たれた根の形状が意識化の闇にまで侵食してきて、根塊の呻き声が身体を貫きひりひり震えるようだ。しかし折々に透きとおったアポロ的響きが交じり、そのたびに私は立ち止まる。水流の響きだ。この時、魔物めいた形状の根塊たちも、その水流に聞き入っているのが、ありありと感じられる。
息詰まるほどに夢魔的でありながら、生き生きしたアポロ的世界にも通じる場所が玉川上水だ。崩落すると思えた崖は水流を透明に木霊させて、切り株の孤高の魂を発光させる。

ありありと十字架に架けられたイエスの苦悩を象った切り株をみつけてしまう。伐られたばかりの切り株はイエスの頭部のようであり、樹の瘤が何かを呟く唇のように啓かれている。
—ラマ、ラマ、ラマサバタクニ—(神よ、神よ、なぜわれを見捨て給いしかか)その切り株から、胴体と見紛う太い根が露出し、さらに水辺まで二股に分かれた根が垂れさがる。また切り株から水平に、両腕を広げるように根が蔓延り、さながら「崖面に磔にされたイエス像」となって、現出している。
この切り株のある場所は、河床に段差があり、水流が細やかな結晶体となって響きあうところでもあるので、立ち止まって、全身の皮膚感覚を耳にして、水の響きを体感してみる。「切り株にされてしまったイエス」とともに。

 その水流の真下に、なにか黒髪の靡く気配がした。木立と水界と崖の割れ目のような場所に、その黒髪は靡いてやまなかった。入水したオフェーリアを連想させる。髪は水没しているのに乾いていて、虹のように色彩が幾重にも舞い降りていた。人形なのだろうか、うつ伏せの姿勢で浮き沈みしている。

「すくってください!あの人形」
不意に背後から声がひびいた。
長い髪を無造作に後ろに束ねた、年齢不詳の細面の女性が、険しい眼差しを私に向けている。(掬う?救う?)といっても、河床には立ち入り禁止で、人形とおぼしきものはは数メートル下の崖下の流木にひっかかっているのだ。
「流されてしまいます。永久にこの世に戻れなくなってしまいます。救ってください。」
 女性の声には有無を言わせぬ切迫したひびきがあったので、理不尽な命令だと思いつつも柵を乗り越えて崖に向かった。幸いそこは緩やかな段差がついていた場所だったので、水辺まで降りることができた。裸足になってズボンの裾をめくり、膝まで水に漬かりながら人形に近付く。なぜかモーツァルトのラクリモザの旋律が蘇る。この世に無意味と思われる行為こそ崇高だ。

 黒髪と背中が水流に曝されている。上半身を覆っている繭色のワンピースのフリルが靡きつつ煌いている。
 黒髪を抱えるように水底から人形体を剥がそうとする。半身を折り曲げた形で水没していたので、両足が跳ね上がり、体長は1メートルほどになった。

 重い。人間の重さが、両腕に感じられる。まさか・・・思わず人形を表返してみる。黒目勝ちの瞳、秀でた鼻梁、やわらかな微笑を湛えた唇・・、限りなく人間に近い美しい少女の表情といっていいだろう。だが次の瞬間、眼窩が落ち窪んで真闇となり、唇は何かを叫ぶようにOの形に開かれた。そして両眼の窪みから唇から、夥しい緑のどろどろしたものが溢れ出したのだ。真緑の血だ。
断末魔の顔貌。

 わぁぁぁぁぁああああ・・・

 自分が叫んだのか、人形が叫んだのか、得体の知れない恐怖を感じて人形を投げ出してしまった。水流が夥しい真緑に染まってゆく。
植物でも動物でもない、人間でも人形でもない、「ただそこにある塊」がひたすら怖かった。
「何してるの!永久にこの世に戻れなくなってしまいますよ。救ってください!」
 女の切迫した声が再び頭上からひびく。気を取り直して「その塊」を掬いあげる。すると塊は人形の軽さとなって、表情も元に戻っていた。人形の内部に水が溜まり、それが溢れ出しただけだったのだろうか、だが、なぜ真緑に染まったのか。
人形を脇に抱えて、木の根を摑みながら四苦八苦して崖を這い上ると、バスタオルを握りしめて女が立っていた。いつ用意したんだ。ねぎらいの言葉もなく、女は無言で人形を受け取ってバスタオルで包み、一心不乱に水気を拭き取っている。正気なのか?ぴりっと神経の張り詰めたような年齢不詳の女の表情は、どこか人形の顔貌にも似通っている。人形の母親でもあるように。その時、人形の左腕が、だらんと垂れ下がり、指先が微かに動いた。甲の真ん中あたりに豆粒のような疣が浮かんでいる。それが奇妙に生々しく、この世からはみ出している突起物のように思えた。
「わたしは人形復元士です。拾ってくれてありがとうございます。この人形はあなたのものです。復元したらお返ししますので、連絡先を教えてください」
 バスタオルを押し付けるように差し出してきっぱりした口調で言った。それ以上のプライベートな関わりは一切御免、という雰囲気だ。そういえば私もずぶ濡れだった。最初にバスタオルが必要なのは生身のヒトである私の方だろう。携帯の番号を教えると、女は人形を抱えたまま、そそくさと立ち去った。ピンク色のママチャリに乗って。人形は前籠に置かれ、名残りおしそうな眼差しを、一瞬私に向けた。
 
 暗闇のなかで目を見開く。地中の根の塊が蠢くように。いつも午前4時頃には目覚めてしまう。人形を救い出したことが、夢魔のように思い出される。確かなことは、キリストによく似た切り株と、人間のように黒髪を靡かせていた人形と、私が、同じひとつの水流のひびきに耳を澄ませていたということだ。いや、もう一名の「人形復元士」とともに。「人形復元士」という職業が、この世に成立しているのか。
 人間でも人形でもない塊を両腕に抱えた感触が、ありありと蘇る。不意に眼窩が落ち窪み、真闇の空洞となった両眼、Оの字に開かれた唇、そこからどっと溢れ出した、どろりどろりとした緑の血のようなものはなんだったのか、人間でも人形でもない、断末魔の塊のようなものを一瞬抱えてしまったのだ。玉川上水の漂流物になりたかったのは自分自身ではなかったか。少しづつ少しづつこの世の掟からはぐれて、人間ならざるものに近付きつつあるのは、かなり前から自覚してはいたが。
 左手の甲のあたりがしくしく疼くので、夜明けの薄明に曝してみると、豆粒のような疣が浮かんでいる。人形の甲に露出していた突起物と同じものだ。デス・スピリット(死の芽)だ。ついに身体に現われてしまったのか。
人形あるいは漂流物と、死の芽を共有したのだ。

 数日後、人形復元士から連絡が入る。
「人形は復元されました。T駅Tデパートの屋上庭園、明日正午に来てください」
 一方的に携帯に告げて、一方的に切れた。Tデパートなら偶に利用するが、屋上庭園なんてあったのだろうか。私の左手甲の疣は少しづつ膨らみ、パチンコ玉大となり、ついに家人からも見咎められるようになってしまった。
「どうしたの。気持ち悪い、病院に行きなさいよ」
 冗談ではない。病院の検査によって、漂流物になりかかっている魂の、何がわかるというのか、私はデパートの屋上に行くしかないようだ。

 平日のデパートは、客よりも店員の方が多いと思える空間だ。人間よりもマネキンが多く、しーんと鎮まりかえっているようで不可思議にさざめいている。
そこには1階から8階まで吹き抜けになっている空間があり、階段(エスカレーター)は、それに沿って続いている。

 T駅のTデパートは透明な断崖を抱えているデパートだ。3階以上からは自殺の名所ともなり得るような、張りつめた人工物としての断崖の気配に満ちている。硝子張りの断崖、そこから身体は空瓶となって落下し,無色透明な破片となって砕け散ることができる。このような場所でしか異界から現われてくる少女に、出会えないだろう。

 「1階から8階まで、エスカレーターでのぼってみるが、異界に誘う少女はいなかった。8階から1階まで、またエスカレーターで戻る。やはり少女はいなかった。しかし見上げると、天井にうごめいているものがある。赤い鞠が貼りついているのだ・・・。よく見るとそれは風船だった。そういえば駅前で配っていたっけ。手放した風船が、その天井までたどり着いたのだろう」とも、かつてのブログで書いた。

 Tデパートの屋上庭園は、真新しい廃墟のようだった。いろとりどりの動かなくなった電動木馬が、「遊牧園」と名付けられた花壇の片隅で、風にカタカタ鳴っている。メリーゴーランドの撤去跡は、ただまぶしい光の広場となっていて、数羽の鳩が群がっているだけだった。そういえばデパートの屋上といえば、子供の頃から特別な場所だったはずだ。「R」とはなんの略なのか、いまだに知ろうとも思わない。ただそれは、地上の現実から、ほんのわずか、しかし決定的に隔たっている場所であることは確かなことだ。
 ここはRだ。未知の世界にときめく地帯だ。
しかし、今ここには何もない。庭園風にアレンジされた廃墟が広がるばかりだ。
広場の片隅のベンチで、赤い風船を持った少女が、一人で坐っている。黒髪が靡き、繭色のワンピースの襞が揺らいでいるが、背中しかみえない。

私はその少女が何者であるのかを生まれる前から知っていると思った。「魂の伴侶(ソウルメイト)だ。死の芽をわかちあっているはずなのだ。

「人形復元士」の姿がみえない。人間でも人形でもない少女は、ひとりでここに来たのだろうか。私は少女に話しかけることが出来るだろうか?

 その時、少女が赤い風船を手放した。それは風の気配などもろともせず、ただ真っ直ぐに上っていった。空葬のように。