2011年3月のアーカイブ

決壊と復興

 危険水位を保ちつつ生き継いでいるという日常感覚が、胸の奥ではつねにさざめいているが、その正体は自分でもわからない。誰かに告げることでもない。ただ流氷と流氷が軋みあう呻きのようなものに、耳を澄ませて、それはいつか決壊するのではないかと、ひそかに畏れ続けて来ただけだ。

 3月11日、東北・関東を急襲した未曾有の地震と大津波、それに伴う福島原発の破損という事態は日本社会の空気を一変させた。
防波堤を超えて町ぐるみ村ぐるみ津波が攫ってゆく。平穏な日常が根こそぎ壊され、それを何処かへと運ぼうとする凄まじい破壊力。押し寄せる波で砕いた諸々を、彼方へと押し戻す、引き波の力がひたすら不気味で空恐ろしい。破壊したものを、さらに彼方まで戻そうとするエネルギーは、人智を越えてしまっている。

 私個人が、漠然と抱いて来た決壊感覚とは別次元の、圧倒的な破壊力に打ちのめされてしまい、身の置きどころの定めがたい宙ぶらりんの日々だ。もちろん実際に津波にまみえた人々の辛苦を、テレビ画像等の情報のみで共有出来るはずはなく、情報だけで個々人の悲しみの根っこには繋がれるはずもない。
 しかし内なる決壊の予感めいたものが、外なる決壊として現われたという思いを拭い去ことは出来ない。千年に一度の大災害とか「想定外」という言葉が言い訳のように飛び交っているが、それらは畢竟文明至上主義の発想であり、そこからの根本的な価値転換はからなければ、人類の「類」としての未来はない、という気がしている。

生物の進化とは、環境にいかに適応するのか、という目に見えない意思で育まれてきた。その進化の頂点に在るのが人類であるのは言うまでもない。「しかし皮肉なことに進化して適応を完結すると、その種は絶滅するという実例が数多く示されている。したがって生物は環境に適応しようとして進化し、その結果、その環境にのみに適した特殊化した生物になり果ててしまう。そして次に訪れる環境変化に耐えられず滅びてゆくというバターンを35億年も繰り返している」(濱田隆士)
私達が享受してきた現代文明、その基底にあるエネルギー依存、成長神話は、地球の来歴の中では「その環境のみに適応した特殊化したもの」であることを
3月11日以降、あらためて生々しく感じている。なにかが本質的に決壊したのだ。
東日本大震災以降、「日本に元気を取り戻そう」が合言葉のようになり、閉塞感の瀰漫していた新世紀以降の日本を再生するモチーフとして、夙に喧伝されている。そこで「日本人」のアイデンティティとは何か、が洗い出され、力を合わせて苦境に立ち向かおうとする機運が、日本の社会全体に生まれている事自体は、めざましい事だと思う。しかしながら、まだ1万人以上の行方不明者がいて、被災地では犠牲者の埋葬も間々ならない状況が続いているのに、「日本は大丈夫」とポジティブキャンペーンが先行する風潮に強い違和感をおぼえる。泥水を飲み込み埴輪のようになった遺体が、ずらりと並べられている報道写真見た。これが現実なのであり、「日本をやり直す」というのならば、死者への鎮魂の思い、この死者たちが何を問いかけているのかを、生き残った者として受け止めることが、すへての出発点となるべきではないのか。
人間は喪失から、深い学びをすべきだ。
 
「しばらく心を無常にかけて、世のはかなく、人のいのちのあやふきこと、わすれざるべし」(道元「正方眼蔵」より)

 まして今回の東北関東大震災は、原発の破壊という未曾有の事態に、刻々と日本社会全体が直面させられている。戦後の焼け野原になった日本が復興したエネルギーから学び、その活力を再び取り戻せ、という論潮が勃興しつつあるが、それは時代の転換を見誤っている。確かに焦土から復興、高度成長時代を出現させ、文明再生の見本のような国の体制を整えたのは、世界史的にみても奇跡的な推移であった。この極東の小国には、「この環境にのみ適した特殊化したもの」という人類進化のモチーフ(文明の高度な発展)が、凝縮される運命にあるとすら思える。しかし世界で唯一の被爆国となったことと、今回の絶対にあり得ないといわれていた原発の事故とは、深いところで連動しているのは明らかだ。戦後の焼け跡には、人為的エネルギーを活性化させるべき空白があり、そこで人々は成長神話に基づいて、「頑張れば頑張るほど報酬がある」という価値観によって今日に至る高度情報化社会を築きあげてきた。(同時に情報は投機として経済価値を増幅させて「頑張らなくても裕福になれる」格差社会を生み出した。日本人は「復興」「成長」を最大の価値として、太平洋戦争の死者たちの魂の深みから、何も学んでこなかったことを今回の対応からも如実に感じざる得ないのだが)
 しかし戦後間もない日本と、新世紀の現在とは「文明」のモチーフが全く相違する。原発の破損は、文明を育んできたエネルギーの最先端が壊れ、壊れたこと自体が文明を破滅させるモチーフを孕んでしまったという事である。日本人として決定的な意識の変容に間向かっているという事態に向き合わなければ、
「復興」の展望が描けるはずもないのだ。

 ひとつのヒントとなるのは、朝日新聞の天声人語にも紹介されていたが、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝説』に描かれていた火山活動のエネルギー自体を、人類のエネルギーとして活用する、という発想に象徴される世界観だ。地球環境として「特殊化してしまった文明の有様」を、地球と共生する形へと変容させていくのだ。それには個々人の生きる欲望を満足させる文明、という思い込みから、自他の境界を越えた、宮沢賢治の示唆する「宇宙根源力」のようなものを、一人一人で感応するしかないだろう。日本人としての意識の変容、すなわち「内なる復興」がなければ「外なる復興」もあり得ないと思う。

スーパームーン (3月19日がスーパームーンだった)

 丸テーブルに、さっと銀色のテーブルクロスをかけて、女主人はいった。
「今日は18年に一度の、月がもっとも地球に近付く日、スーパームーンです。月のスープを是非お召し上がりください」
 それからしばらくして白磁の皿に湖水のようにきらめくスープが運ばれてきて、そこには満月が揺らいでいた。
 これを掬っていいのですか?
 女主人は口元に微笑を浮かべて、やわらかにうなづく。
 
ひとくち啜ると、ほのかな潮の香りが広がる。
ふたくち啜ると、森を吹き抜ける緑の風が舌にひびく。
みくち啜ると、なんだか体が透徹っていく感じだ。

 これはいったい?

—月が導く海鳴りと、森のさざめきが熔けています。今日は特別な日、この夜にしか作れない、月光を煮詰めたスープをお作りしました。真ん中に浮いている月明かりを、どうか掬ってみてください。だんだん身軽くなれますよ。月は無重力ですから—

 月光が舌先でふるふる震えたかとおもうと、すすすっと身体の暗闇に消えてゆく。少しづつ透明になりつつあるのは世界なのか自分なのか。
自分が月光なのか世界が月光なのか・・・・・
ああ月光が決壊する、呑み込まれてゆく、スプーンに掬われようとしているのは自分自身だ。

「瞬間生起瞬間消滅」(人が生まれ時間を経て死ぬ、というのは錯覚だ。一瞬の間でも生まれて死に、また生まれて死ぬということを繰り返している)「道元」

 ここは何処なのだろう?

気が付くと大きな切り株に漂着していた。月光に照らされたその切り株は、宇宙を見据える大きな眼差しのようであり、年輪は漣のように幾重にも押し寄せていた。月光でずぶ濡れになった身体を立て直し、ともかくも切り株の丸テーブルに坐りなおした。

スープのおかわりを頼めますか?

スーパームーン、地球から18年ぶりにもっとも近付いた月は何も語らない。ただ透明な刃のように、月光だけが光度をまして身体を貫いてゆく。

女主人とは誰だったのだろう。

虚空に亀裂が奔る

観測史上、最大級の地震と津波が東日本を急襲した日の昼、私は国分寺駅ビル内の2階にあるドトールで、日頃愛読しているサイエンス誌「Newton」の「地球」特集を読んでいた。
原始太陽星雲の中から誕生した地球は、太陽系で唯一海を抱き、生命を進化させてきた天体なのは言うまでもない。46億年前に膨大な微惑星の衝突、合体によって生まれた地球の来歴はヒトの身体にも元素として刻まれているものだ。誕生したばかりの原始地球は、灼熱のマグマの海、そこに隕石が降り注いでやまずに数億年が過ぎる。
 天地創造は比喩ではない。灼熱のマグマの海から水蒸気と二酸化炭素が交じりあい、大量の雨が何千年にもわたって降り注ぎ、海を出現させた。(微惑星の運んで来た水素と酸素の融合によって海が生まれた、という説も有力だ。何れにせよ生命の基は宇宙から来たのだ)
 海の誕生によって大気中の二酸化炭素が水に溶け、生命の原型が現われ、酸素が大気に放出されることによって、地球は「晴れ上がり」といわれる「青空」を獲得した。だから海と青空はひとつづきのものだ。そのために数億年を要しているが。

「地球のような惑星の誕生は、膨張する宇宙での大事件であった。液体の水、つまり海を何十億年という長い期間にわたって保てるからだ。海の中では、それまでの宇宙では不可能であった複雑で微妙な反応が進み、おどろくほど精巧な構造と機能をもつ物質があらわれ、進化した。それが生命だ」(海部宣男)

 ふと目を上げると、ドトールのカウンターに、ずらりと並んだ数人の女性スタッフが、てきぱきと接客している。決まりなのか、みんな後ろで髪を束ねているので、顔の輪郭が際立っている。生命は海から生まれ、そこから這い上がって、よくここまで進化したもんだ、と、つくづく眺めてしまう。

 席をたつと身体の内部で、海が少し揺らいだ気がする。「私」とは60%以上水で出来ていて、しかも海の組成のほとんどを含んでいる存在なのだ。ふっと自分が地球の地軸から少しぶれているような、軽いめまいを感じたのだ。なんなのだろう、と思ったけれど、その時は気付かないふりをした。
 仕事場に戻ってから、地震にあった。最初は緩やかな横揺れで「生命に関わる大地震は最初の10秒の縦揺れで決まる」と認識しているので関東直下型ではないと安堵したが、横揺れは予想外に長く、しかも途中から激しくなっていった。身体の内側にある水が揺さぶられ、決壊するのか。地球の内部で抱えられている水が、身体のなかでも揺らぎ、それが溢れ出そうとしている感覚だ。
 壊れても仕方ないや、この世で喪うものはあまりないので恐怖心は無かったが、自分はどこに流れ着くのか、とりとめのない思いに押し流されそうだった。

 それからしばらくして、未曾有の津波が東北地方を襲ったことを知った。

 虚空に亀裂が奔る。身体に亀裂が奔るように。それは今なお水魂として奔り
続けている。

漂流物

私鉄沿線H駅前のファーストフード店Mは、異様に寒い。スーパー1階の隅に設営されていて、人の出入りが多く、3箇所ある自動ドアが、ひっきりなしに開閉するためだ。客の居心地より回転率を計算した造りで、店内は外の温度とほとんど変わらない。それでもコートとマフラーを着用すれば、コーヒーとフライドポテトで、校正の仕事などしながら2時間ぐらいは粘れるのだ。しかし今日は少し違った。うまくもまずくもない紙コップのコーヒーを一口含んだところで、森進一の「おふくろさん」のイントロが急に鳴り出したのだ。

 自分だけに聴こえる?まさか、周囲を見回すと、何人かの客の目線が宙を泳いでいる。ありえない、だろう・・ハンバーガーと森進一、まして「おふくろさん」という組み合わせは。地域周辺のMは一通り利用しているが、BGMは店長だか店員の好みが反映されているようで、Jポップだったり、ジャズ系だったり、フュージョンだったりするが、演歌だけはあり得ない気がする。

 おふくろさんよ、おふくろさん
 空を見上げりゃ、空になる

 このフレーズが流れた後、「おふくろさん」は、ぶつりと切れる。「おふくろさん」との縁が切断されたように。たくさんの目線が、元の世界に連れ戻されて流れ出す。「あれはいったいなんだたのだろう」という余韻はあるが、多くの人々にとって「おふくろさん」より、目の前のハンバーガーの塊の方が、より大切なのだ。みんないつから、あんなにうまそうにハンバーガーを頬張ることを覚えたのか。。Mの店員達は、なにごともなかったように振る舞っているが「間違って演歌を流してしまった時の対処法」はマニュアルには無いだろう、多分。

 森進一の「おふくろさん」は苦手だ。日本人の魂の琴線に触れる母親像、確かにそうには違いない。しかし母イコール真実を、情緒的に前提としてしまうような感覚には、どうしても馴染めない。
 再び目の前の校正ゲラに向かうが、「おふくろさん」のフレーズが揺曳して気分がちぐはぐだ。ついに飲み残しのコーヒを捨ててMを出る。このスーパーの2階に無料の休憩所があったのを思い出してエスカレーターに乗る。

動く階段、最初に乗った人はどう思ったんだろう。

 休憩所の丸テーブルには一階で298円の弁当を買った年金生活者のおじさんとか、幼稚園帰りの母娘とかで占められていたが、とにかく坐りたかったので、空の見える椅子に腰掛けた。

「おふくろさん」のフレーズが胸に絡みついて離れないのは、老人施設に預けている母のことを思うからだ。母は全身衰弱で、終末期医療を受けつつ1年を経過している。どうしていいのかわからないまま時間だけが推移している。嚥下機能がもうないので、直接栄養をチューブで胃に送る方法が取られているのだ。しかし頭はしっかりしていて、この前見舞った時は、母の少女時代に家族で撮った写真を見せたら、涙を流していた。その一枚の写真には、母の成育史がすべて凝縮されていたから。そこには母の祖父母、両親、妹と、その真ん中で微笑む7歳の母の姿が写されていた。

 母の祖父は長崎県大村藩主の家系で先祖はキリシタン大名、若き日に駆け落ちして上京、仏語で日記を書くほど語学に堪能で、外大の前身に学んで外交官となった。気丈な母の祖母は、娘たちの婿は「東大卒で都区内に家を構えていること」を条件として、それを実現させた。母の父は、福井県三方郡で薬種商を営んでいた家系、東大法学部に学び、農村の経済史を専門とする学者兼官僚のような立場にあった。この時撮られた家族写真は、母の人生の幸福の絶頂を捉えていたと思う。
 目黒区内の洋館で家族みんなに愛され、近隣からは美少女姉妹ともてはやされ、何不自由ない、いわばエリート一家の中で成育したのが母の出自だ。それが暗転したのは10歳の時の実母の死だったが、その後の激しい経緯を書くのはやめよう。ただ母の死の瀬戸際を目前にすると、やはりこの写真に映し出されている、この世にない家族たちは、母の生き方をいちばんしっかり見守ってくれてきた人たちと思えるのだ。死んでから本物の家族愛は迸る。

 母は結局、私という漂流物を、自分の分身のように産んだのであって、私という存在は、母のファミリーの部外者だったのかも知れない・・・。

 違うかも知れないし、そうかも知れない。ただ母は、「おふくろさん」というように、情緒的感傷的に呼び戻す存在ではないこは、確かなことだ。こよなく愛されたことはわかっているが。

 目の前を飛行機雲が、捩れつつ消えてゆく。臍の緒のように。それは母と自分を繋げている束の間の絆だ。それはこの世にもあの世にも属さない漂流物だ。だから母にこう語りかけるしかない。
 
 死をわかちあっていたんですね、その始めからね、漂流物だったから

 

いちばん大きなしるし

 鶴を折ろうとして、折り紙を折ってみるのだが、たちまち元の紙に戻ってしまう。鶴だけではない、この世に形あるものすべての輪郭が危うく感じられて、何を折ろうとしても線がつけられぬまま、元に戻ってしまう・・・。
 つまりは、ぴしっと輪郭付けられたライフ感覚が揺らいで来ているのだ。まして自分の輪郭が、この世で薄れてくるという事態になると、即刻退場を余儀なくされるかも知れない。白紙に戻るのも悪くはないが、せめてそこに夢の痕跡を残したい。
 あぶり出し、というのがあったっけ。画用紙にみかんの汁を垂らして形を描くが、姿形は不透明なままだ。けれど、どんな時間を置いても、火にあぶると、その輪郭がはっきりするのだった。

 小学6年生の夏休み、伊豆今井浜の夕暮れの浜辺で、2歳年下の従妹と波打ち際で遊んでいた。満ち潮の時期なので、波は少しずつ高くなる。その波頭を従妹と私は「白い髭のおじさん」と呼んで、待ち構えていた。「白い髭のおじさん」は、どこまでここにやって来れるのか、渚でそれぞれ流木を拾って、2人で、波にあわせて右往左往していた。波の最前線に、流木で目印をつけるのだ。海中で波は大きくはばたき、それから一息ついて、怒涛となって押し寄せてくる。日没とともに、ますます波頭は高くなり、この世の彼方からやってくるものとしての相貌を深めていった。
–もうやめなさい、という大人たちの忠告には耳をかさず、従妹と2人で、いっしんに波を追いかけ続けた。すると、これまでみたこともないような波濤が湧き上がり、それは幾重もの波頭となって、いっきに押し寄せてきた。

—しるし、しるし、しるし、いちばんおおきなしるし!
 一緒に波から逃れようとしている従妹に向かって、思わず叫んでいだ。
 一番大きな波のしるしを、従妹とともに砂浜に徴したかったのだ。
従妹が大好きだったから。

 そのときめき以外、なにもない世界。まっさらさらでありながら、従妹と同じ響きを感じているという思い、ずっとそうしていたいとだけ願った気持ち。だが何より、その時幸福で仕方がなかったのだ。彼方にあるものが今であり、それは波という幾重もの波頭、すなわち「白い髭のおじさん」として現われていた。従妹と私はその時、幸福の正体を名付けていたのだろうか。

 「彼方は今」なのか。わが身の輪郭すら危うい日々、踝に漣を感じつつ、「幸福感」を呼び戻してみる。もう一度、ゆっくり日々を折り直してみるべきか。

「海はわたしたちに、目を上げて、水平線を見はるかすことをおしえる。目を伏せることでなく。」(長田弘)