2010年10月のアーカイブ

はぐれるならば(続き)

(前回続き) 二本の爪楊枝

目の前に坐ったのは七十代の男性と六歳位の女の子。このカップルは居酒屋としては特異だ。女の子は席につくなり、まじまじと私の風体を見つめる。そういえば先ほどの母娘は、私を一瞥もしなかった。<私>は物置に立て掛けられているモップほどの存在感もなかったようだ。だがその時の女の子にとって私は、モップ以上の存在感を醸し出していたのだろう。この女の子の瞳も、つやつやのどんぐりだ。先の母娘のひとみが、薄茶色のどんぐりなら、女の子のひとみは薄緑色のどんぐり。つぶつぶと泡立つようなモスグリーンのひかりのかけらが、女の子の瞳から放たれてゆく。男性は金子と名乗り、五十年来「伊勢や」に通っていると話しかけてきた。小学一年生の孫娘を井の頭公園の動物園で遊ばせて来た帰りだという。誘拐犯ではなかったのだ。もちろんしょっ中孫娘と飲み歩いているわけではなく、始めて連れてきたらしい。女の子の前にオレンジジュースとモツの煮込みが運ばれてくるが、どうなんだろう、六歳の女の子の食べる組み合わせとして。

女の子は初めて食べるモツのぷるぷるを不思議そうに眺めてから、おそるおそる口に運んだ。それから一口一口、モツの大きさに即してもぐもぐしていったので、気に入ったのだろう。そしてなぜかモツを口に運ぶたびに、まじまじと私を眺めるのだ。

金子氏は、調布で長年電気工事業を自営しているといい、バブルの頃は海外旅行にもさんざんいったが、今は全然ダメ、とため息をついた。そしてその経緯を延々と語り始めた。得意先の連帯保証人になったのが運の尽きだったとか、同業者が自殺した話とかを、さもやれやれという顔つきで他人事のように語るのだ。私は適当なところで相槌を打ちながら、井の頭公園の動物園には十年以上入っていないが、象やモルモットやキョンはどうしているのだろうかを、ふと考えていた。(モルモットは下腹を両手で掬うように抱えて膝に置かないと、暴れるんだったな)

女の子はモツの煮込みを食べ終わってしまうと、退屈してしまったようなので金子氏の話が途切れたところで「お名前は?」と聞いてみる。

「らう」

「どんな字?」

差し出した手帳に女の子は、すごく真剣になって鉛筆で文字を書く。

「かねこらう」 まだ漢字は書けないというが、とても均整のとれたしっかりしたひらがなだ。その瞬間から、女の子一般から「らう」ちゃんに変貌する。三歳の弟がいて名前は「なる」ちゃんだという。「らう」と「なる」がひびきあっている。親の情愛だな、漢字二字らしいが、どんな文字なんだろう。らうちゃんと話したかったのだが、祖父、金子氏の修羅場話が再開される。なにしろ飲むピッチが早い。私は体調が芳しくないので、チューハイ一杯すら飲み余してしまうが、金子氏は席についてから既に三杯も焼酎をお替わりしているのだ。金子氏は、らうちゃんのために「やわらかな焼き鳥を食べさせたい」としてレバー串を含む六本を頼んでいた。しかしレバー塩は、らうちゃんには無理だった。モツ煮込みを食べた後、レバー塩焼きをぱくぱく頬張る小学一年生が、この世に居るとも思えない。らうちゃんはいよいよ退屈の極みで手を鳴らし足を鳴らして、もう帰ろうよの合図を祖父に送っている。仕舞いにテーブルにあった爪楊枝の詰まった容器を揺すり始める。するとそれは以外にもカシャカシャカシャッと、いい響きなのだ。らうちゃんはそれをしばらく楽器として遊んだ。

金子氏は五杯目の焼酎のお代わりを、店のおばちゃんから断られた。「お孫さんもいるし、もうダメ。お勘定して」

金子氏はしぶしぶ皿に散らばった焼き鳥を、串に拾い出した。一本の串に肝臓や胃袋や心臓や皮の断片が集められてゆく。おみやげにするようだ。伊勢やのオリジナルミックス串として販売してもいいのではないか,今は食べたくないが。

らうちゃんは、ずっと「爪楊枝の容器」を鳴らしている。余程のことがない限り、らうちゃんとはこの世で会うことがないだろうな、と思って、握っていた「爪楊枝の容器」をするりと奪いとってしまう。私も鳴らしてみたかったのだ。これはね、魔法の容器なんだ、逆さまにすると、もっといい音がするのだよ・・・・。かしゃっかゃしかゃしゃが逆さまになって、しゃかっくりぐりぐりしゃかっくりぐりんぐりんと鳴るんだよ。

すると容器の小さな孔から二本の爪楊枝が、つぎつぎと出てきた。

らうちゃんは、びっくりして目を見張り、二本の爪楊枝を宝物のように両手でつつんだ。交信できたんだ、らうちゃんと。

帰り際、らうちゃんは高々と二本の楊枝を掲げて私を振り返り、とてもうれしそうに微笑んで去っていった。つぶつぶと泡立つ、モスグリーンのひかりのかけらを、瞳からこぼして、曳いていって。

はぐれるならば

体中に大鋸屑が詰まったような気分の日々が続く。全身隈なく大鋸屑を掻きだして、陽に晒し、火をつけて燃やし尽くしたい。ひとつには数週間前から左腹部に鈍痛があり、最近は肋骨や背骨まで圧迫される感じが続いているからだ。身体が壊れはじめる感覚、、というのは逃げ場がなく、全部自分自身で引き受けなくてはならない。それは同時に、世界と自分との関わりの変容を告げる、重大なサインでもある。それと真正面から向き合うのが、ほんとうは怖いのだ。

ひとまず自転車に乗ってみる。自転車に乗っても腹部の痛みが和らぐわけではないが、風を切って進むと、この世からはぐれて新しい視界が拓ける気がする。自転車の高さで風景を眺めるのが好きだ。26インチ自転車のサドルを一番高くして、風を胸元で響きやすくして、ここではないどこかへ高飛びするのだ。小金井公園を突き抜けて吉祥寺をめざす。好きなサイクリングロード、というより、不可思議な場所として自転車を漕ぎたくなるのは、武蔵境浄水場の裏手の道。浄水場には誰一人一生泳ぐことのない無人のプールが、いっぱい詰まっている。もちろんそこはプールなんぞではなく、正方形のだだっ広い水面が、幾つも幾つも置かれているだけだ。けれどプールがくっつきあって、とめどなく広がるようだ。浄水場は、中に入れないこともあって、異界のような、果てしない空間だ。停まっているトラックや、監視所の建物はあるが、人の気配がしない。水の気配だけが、ざわついている。自転車を漕いでいると、胸の中に貯水槽の水の空白感ばかりが、すんすん飛び込んでくる。そのとりとめもない夢の(半分悪夢のような)空間に生きているか、生かされているのか、どちらかだという気がしてくる。

一時間程自転車を走らせて井の頭公園に到着。いまだにこの公園の広さが捉えられない。小金井公園はおおむね家族連れが中心だが、井の頭公園は得体の知れないディープな空気が漂う。どこに自転車を置いていいのかもわからないが、「駐輪禁止」の木札が下げられているにもかかわらず、自転車の密集している区画をみつけることができた。ぶらぶら歩いて草原に出ると、そこは住所不定無職のヒトビトと、幼児連れの若い主婦の溜まり場となっていて、両者は決して交じり合うことなく、その場で共生しているのだ。前者はベンチのある場所で、2、3人づつ一塊になって、カップ酒なんかを飲んでいる。後者は芝生にシートを引いて、午後のお茶をしなから幼児を遊ばせている。茶髪でヤンママ風が多いが、子供はヤンキーではない。(あたり前か)。どちらにも属さない私は、坐る場所もないので、ひたすらうろついていると、赤茶けた大きなテントが目に入る。脳味噌が酒漬になっているだけだ思っていたら、ホームレスのヒトビトも力をあわせれば、こんな立派なテントを造れるのか、と感心して近付いてみると、その前には「唐組」のポスター。唐十郎の有名な「赤テント」だった。こんなところに張られているなんて全く知らなかった。崩れそうなサーカス小屋めいた無人のテントは、昼下がりの草原自体が生み出した白日夢のようだ。劇場はテントの外にあったのだ。

このまま帰ればよいのだが、「はぐれ者」気分をどこかで休ませたい。といえば、公園近くの「伊勢や」に行くしかないか。「公園店」は休みだったので、本店に行く。木造だった建物を壊してビルに改築し、内装は以前のままにして、再開したのである。木肌に焼き鳥の煙が沁み込む店の雰囲気が好きだったので、ビル化されてからは行かなかったのだが、入ってみると以前とさほど変わっていない。焼き鳥のタレの染み付いた白の上下の割烹着を無造作に着こなしている、どこかワケアリ感の漂う店員たち。ワタミとかなんとかの店員の、マニュアル化されたサービス感覚は、裏返せば平均化された商業意識を合理化しようとしたシステムに過ぎず、薄っぺらな存在感しかない。目つきは多少鋭く、客対応は無愛想で、なかなか注文品が出てこないこともあるが、「伊勢や」のお兄、お姉の店員は、先ほど見た「赤テントのはみ出しもん」みたいで好もしい。カウンター席は満席、テーブル席に着くと、目の前に母娘の客が同時に坐る。母五十代、娘三十代前半ぐらいか。注文して速攻で出てきた「名物ジャンボシュウマイ」が、二分三十秒位で、瞬く間に母娘の胃の腑に納められてゆく。その間に、母は生ビールの中を飲み干し、なおかつ、お代わりを頼んでいる。娘はレモンサワーを頼んだが口をつけていない。

「会わんでいいよ。会わんで」

母がそれだけきっぱり言うと、娘は顔をうつむけて唇を噛みしめる。落ちたてのどんぐりを顔に埋め込んだような、鮮やかで艶々、くりくりした瞳がそっくりな、美形の母娘だ。ビールを飲み干す時、口元に磯巾着が身をすぼめる時のような皺が押し寄せるので、母と気付く程度である。

「会わんでいいってば。会わんで」

母はだめ押しのように繰り返し、目の前に運ばれてきた焼きトウモロコシにかぶりつく。きれいな歯並びのまま、トウモロコシが齧られてく。

「なんも、知らんくせに」

娘は母からトウモロコシを奪って、齧りだした。やはりきれいな歯並びのまま。

娘の恋人だか夫だか知らないが、別れ話について母娘で話し合っているらしいが、なにしろ話より食う方が早く、しかもたちまちに終わってしまう。

「別れんからね」

焼きトウモロコシの一番おいしそうな、先端の黒く焦げた部分をしっかり齧り終えた後、娘は席をたち、母はその後を追いかけた。それで終わり。 目の前に、きれい齧りつくされた焼きトウモロコシが皿のうえに転がっているだけ。いや、一本、黒焦茶色の毛が、トウモロコシに絡みついている。母のものか娘のものか区別はつかないが。

真裸にされたトウモロコシには母娘のきれいな歯並びが、そのまま残されているだけだった。

そろそろ帰ろうと思った時、別の客が坐った。(この稿、続く、かも)

自分を匿名化する場所捜し (「カノンの会のお知らせ付)

「カノンの会」という短歌の会を、もう二十年程続けている。

月に一度、高田馬場にある喫茶店ルノアールに集まり、あらかじめ無記名で提出された一人二首について点数を入れた後、相互批評するのである。ただそれだけ。年齢、性別、職業、国籍、一切関係なく、また誰かが宗匠といったこともなく、平等な立場で意見を述べ合う会である。入会、退会といったことも関係なく、来たい人が来ればいい、というスタンスであり、文学的運動体として内外にアピールしていこうという方向付けもない。司会も、その場でじゃんけんをして決める。ただ成り行き任せの方が豊かな場合だってある。これまでの参加者全員を数えれば延べ100名を越えるが、現在は概ね5~8名の間(20代から50代)批評会は2~3時間以内、その位が歌会としての「黄金比率」だ。

新しい参加者があれば、簡単な自己紹介位はするが、改まった挨拶などはしない。コーヒー代だけ払ってくれればよい。(現時点でのルノアールの珈琲代は、ブレンド510円であり、ビターコーヒーと水出しコーヒーがお勧めである)歌壇的にどうのこうのとか、どこの結社(同人誌)にどういう立場で属しているか、なんてことも全く関係ない。ただ目の前に珈琲(もちろん紅茶や、お菓子付煎茶もある。最近ではゆずティーが人気だ)と歌があるだけ、歌として形になった世界への問いかけがあるだけだ。(偶にサンドイッチを頼む人もいる。チョコレートパフェを頼んだ人は二十年間誰もいない。)会の途中で頼みもしないお茶がサービスとして配られるのが、嬉しいといえば嬉しい。

ちなみに最近(9月25日)のカノンの会に出された短歌作品の一部を紹介する。

君がいた夢から醒めてよたよたと夢の続きの橋を見にゆく

旧き友皆偉くなり片隅に紫煙吐くをり労働われ

図書館の本に引かれた傍線を消す引くべきはここじゃないだろう

草の名は知らねどいたく親しみし葉のぎざぎざを触れて歩み来

透明なガラスにあたりはね返るひと巻き二十二円のけむり

青春はあまの河原のうす煙去ねと言はれて人と別れつ

青空の青があまりにまぶしくて紙飛行機の一機還らず

無記名なので、自作品を他人の作品として批評することもしばしばある。そこで口ごもるのは、会の性格上、仕方がないことである。いささか作品がけむたいのは、題詠が「煙」だったせいもある。自分をひとまず匿名化して、あらためて現在に自分を連れ戻さないと、リアリティが得られない、というのが共通するモチーフでもあろうか。他人の作品であっても、どこかでその気分を共有していることが、相互批評をしている間に、知らず知らずのうちに気づかされる事である。「いったん自分を匿名化する場所捜し」としての短歌である。共同体としての意識を強めるとか、感情移入で相互理解を深める、といった事ではない。ただ、他人の夢の一部を生きている、という感覚は残るのだ。

今回、高得点だったのは三首目、谷村はるかさんの歌。「わざわざ消すだろうか」という意見もあったが、あえて消すのが谷村さんの個性なのだろう。(ちなみに私なら消さない。そのため本の返却後に、図書館内で呼び出されたこともある。あんたがこの傍線を引いたんだろうと。引いてねえよ)

五首目の天野匠さんの歌も好評だったが、私は途中まで蚊取り線香の歌だと思っていた。蚊取り線香の値上げが、巷ではこんなに話題になっていたのかと驚嘆していたのだが、煙草のことであった。私自身煙草は喫わないが、蚊取り線香にはお世話になってきているのだ。

というわけで、カノンの会はについて、以下のように告知します。(ただし全くの初心者には不向きです)

十月・カノンの会のお知らせ

期日 十月三十日土曜日 午後六時 より

場所 JR高田馬場駅下車、徒歩2分、喫茶ルノアール(ビッグボックスの裏、ビザのシェーキーズの横で地下に下りていく方の店)

作品  新作自由詠一首と題詠一首 (十月の題は「引く」引っ張る、引き裂く等でもよい。動詞的に使う)

送付先  0cj0t-33726313m@ezweb.ne.jp (山下携帯メール)

042-327-5910 (FAX)

〒187-0013 小平市回田町279  山下雅人宛に葉書で。

以上、いづれかの手段をセレクトして、短歌作品2首(自由詠と題詠)を10月28日までにお送りください。純響社のメール宛でもよいです。

初参加の方は、頭巾を被る、鉢巻をする、逆立ちをする、カラスのものまねをする等、本人とわかる目立つリアクションをお願いします。あるいは服装の色だけでも、あらかじめ教えてください。お声をかけます。終了後近くの居酒屋「にいがた」で二次会をするのが通例です。実費2000円程度、自由参加です。

水底から花が香る、飛沫のように

木造平屋建ての家に住んでいるので、金木犀の香が家のなかまで微かに漂ってくる。玄関を出ると町そのものを埋めるように金木犀が香るのに、樹の姿がどこにもない。見知らぬ小路が花の香に沿ってあちこちに生まれるようだ。

金木犀の香は見えないのに、それ自体、色や響きをもっている。それが胸の奥で常日頃疼いている思いと、共鳴してしまう。十月の透明なひび割れやすい空気の隙間隙間に、金木犀の香が、蜜のように滲み出すのだ。その樹はどこにあるのだろう。目に見えない花の樹と対話する。

<日溜りとか水溜りとか、それらが混ざり溢れて漂っている場所にいきたいのです>

<誰かの水域となり、誰かの水域に導かれたいのです。>

<あなたと一生出会うことがなくても、それが光と水の響きであれば、世界のすべてです>

歩いて二分のところに玉川上水があって、もう十数年住んでいるので水底が身体に棲みついてしまっている感じだ。金木犀の香に導かれて、その水路を歩く。水流に沿って幻の樹を捜しに行くのだ。

玉川上水はいうまでもなく、江戸町民の水源確保のために玉川兄弟の指揮の下、当時の治水技術のすべてを駆使して武蔵野の土中をひたすら掘り進み、多摩川の水を江戸市中まで通した、人工の水路だ。昭和40年まで浄水設備として実際に利用されていたが、新宿淀橋浄水場の閉鎖とともに水流は止まり、以降、干からびた土堤と化していたが、昭和61年に清流を蘇らせようということで、多摩川浄水場の再生水を放流することで、水流が復活したのである。

太宰治が入水心中した昭和20年代は、水深六メートル程度あり、流れも速く、立派な一本の川だったようだが、現在は一メートルの水深もないだろう。ビール瓶ほどの背丈でないと入水自殺は出来ない。人工の水路とはいえ、護岸工事があったのは350年も前のこと。両岸の風景は自然と化しつつある。人工物が自然と同化する過程を、つぶさに眺められる稀有な場所だ。

水深が浅いので、川底まで透き徹ってみえる。崖というほどではないが、両岸は高さ6メートル程度あり、垂直に地層を晒している。そこに草木が生い茂り、様々な景観を呈しているのだ。遊歩道は玉川上水に沿って続くが、どこまでもどこまでも歩いてゆける気がする、果て無き木立だ。悲光なのか慈光なのか、薄緑にゆらめくオーロラのような空気の層が渦巻いたり分散したりしながら、木立の隙間をすり抜けてゆく。玉川上水では、草木の茂り具合によって光と影が変幻し、そこを移ろう風の色も変わる。ここで風は真裸の色を取り戻す。

その「真裸の風」に吹かれていたら、アンドリュー・ワイエスの幾つかの絵が思い浮かんだ。ワイエスの絵には吹き抜ける風の韻きがある。納屋や廃れた倉庫や草原を吹き抜けて、胸のなかでかたかた震える音。ワイエスは、ひとりの知人女性クリスティーナを、若き日から晩年に至るまで描き続けてきたが、それは恋愛感情等といった単純な動機ではない。一人の女性が一生かけて耳を澄ませてきた世界、その彼方にあるものを深く敬慕して描き続けてきたのだ。若きクリスティーナが草原に横たわる絵が一番有名だが、私は年老いて、やや気難しく因業めいた表情を見せるクリスティーナを描いた一連こそ素晴らしいと思う。美醜を越えて、クリスティーナが、何をこの世で聞こうとしてきたのかを、ありのままを描いている。そこにまっさらになった風のひびきがある。耳を澄ませるとは、そういうことなのだろう。

金木犀の香は時に淡く、消えたかと思うと、また波飛沫のように現れて胸を轟かす。それは不可思議な色と香りを伴うさざめきとして、音のようにも感じられてくる。いつのまにか、水が透明に響く場所を求めて耳を澄ませて歩き続けている。河床の起伏に沿って鳴り響く場所が幾つかあるのだ。

いつもこころのどこかで、彼方に耳を澄ませている。だが彼方とはどこなのか。ずっと水流に耳を澄ませて歩いていると、聖霊は耳から入る、としてマリアがイエスを受胎したことをふと思う。聖書に記述された受胎告知の場面から後年の人々が類推して、そのように偶像化されたのである。その真偽はともかく、マリアが聖霊という彼方、神の意思に耳を澄ませたのは確かだろう。耳を澄ませることで神の子イエスを受胎し、人類救済の壮大なドラマが始まったのだから。私は神の意思に関心は無いが、もし聖霊の声があるなら、今すぐ聞きたい。水流の音と光、微かに漂い波立つ金木犀の香・・・。

その水流の響きは、他のせせらぎとは少し違って、やや緩やかで少し物悲しく、何かを訴えるようでいて、その思いをいったん塞き止めて、彼方へと放ってゆくようだった。岸辺に根を張っていたが、堪えきれずに崩れ落ちた一樹が、何年にもわたって水に漬かっているのだ。その響きの切なさは、水流が水漬いた樹木と共鳴しあって生み出されたものだ。響きとは、響き合うものだった。水と樹が触れ合って、細やかに織り続けているひびきだ。入水した樹は水に漬かることで新しい音階を生み出した。ずっと耳を澄ませているうちに、私がせせらぎを聞いているのではなく、せせらぎが、私を聞いているのだ、という気持ちがしんしんと靡いてきた。身体の一部が水漬いた樹木の一部と同化してゆくようで、ひりひりした痛みが背筋に伝わった。私の背骨が水に晒されて響いているのだ。(大切な人のことを思う時、こころが微かに発光する。その微光が水の表面にも束の間現れて、たちまち消える。私の背骨だけが発光している。水に漬かったまま)

散歩の終点は、玉川上水駅近くの「清流復活」の碑が立つ源泉の場所。玉川上水は羽村堰まで続くので、正確には源泉とはいえないが、監視所でいったん堰きとめられた水は、ここから出発して、清流復活の原点となっているのだ。土堤を降りて玉川上水の水に直接触れられる場所はここしかない。ここで始めて両岸を見上げることができる。水底から花が香る。幻の樹は水に溶けていた。

見たり、聞いたり、嗅いだりする感覚が交じりあったまま、それらを超えた震撼させる何かの気配に、しばし立ち竦む。花の香に起伏がある。水流にも起伏があって、それらは響きあっている。響きあう世界は目に見えないものだけれど、それらが絡みあうと、透明に放電しあう激しいエネルギーに化するような気がする。

<誰かの水域となり、誰かの水域に導かれたいのです> ああこの水域、そこからしか出発出来ない生の慄きがあるのだ。

そこから引き返し、一時間半歩いて家に戻った。玉川上水の水流の響きが身体にさざめいて離れない。この気持ちにひびきあう詩があったはず・・・。そうだ、中原中也だ。

一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方に、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、

非常な個体の粉末のやうで、

さればこそ、さらさらと

かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、

淡い、それでゐてくつきりとした

影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

今迄流れてゐなかった川床に、水は

さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・

さらさら、さらさら、のひびきにに身ごと攫われてしまう。(もう、この世には戻ってこれないだろう)

そして渇いた陽射しが水流に転調される、めくるめきときめき、それはどこからやって来るのか?

水底に透き通って輝く小石の群れがみえる。それは今日一日をかけて、私が捜し求めてきたものだ。

中也がこの詩を書いたのは昭和11年、最愛の長男文也を、二歳で亡くした年であり、中也自身も、翌年、三十歳で病没した。

さらさらさらさらは比喩ではなく悲しみの律動そのものだ。だが、一つの蝶の存在が、世界を変容させる。渇いた地に水が溢れるのだ。

最初と最後のフレーズでは「さらさら」の韻き方が違っている。それを聞き分けることが、詩人の魂を理解することだ。

真夜中、眠れないまま玉川上水の水流に耳を澄ませる。

暗闇の水を金木犀の花びらがひたすら流れてゆく。ただ流れるだけではなく飛沫のように光り、舞い上がる。真闇を彷徨う蛾のように。

水と塔のある風景

十月になって、ようやく磨かれた秋の光を感ずるようになった。

それはこころの内側にも射してきて「ここではないどこか」を促すようだ。
結晶する世界への希求はいつもあるのだけれど、そこにつねに得体の知れない悲しみが絡みつくのはなぜだろう。出奔願望は強いが、どこにいけばいいのか見当もつかない。通勤で利用している西武線に乗っていたら、電車は止まったままで、風景だけが走り抜けるという感覚に捉われた。
身体のなかを車窓の風景だけが、つぎつぎ奔り去ってゆくのだ。すると電車は直線的に走っているわけはなく、絶えず上下の動きやカーブを伴うものであることが身体に伝わってくる。
見慣れた街の風景は、俯瞰したり寄り添ったりして奔り抜けるものだったのだ。
風景も人と同じように、沢山の窪み、屈折を孕んで、しかもその一部しか露出させていない。
これまで風景の表面しか眺めていなかったのだ。プラットホームも浜辺のように湾曲する形態だった。(自分はどこに行こうとしているのか?)

乗り換え駅の高田馬場についたら、事務所とは逆方向の山手線に乗ってしまった。不意に水と塔のイメージが浮かび、その風景を探しにいきたくなったのだ。直線的に奔り抜けるものと、同時に垂直をめざすものの見えない意志のようなもの、それは、もしかしたら都市が隠し持っている神話的情景のような気がしたからだ。
船に乗りたかった。
水上バスのことを思い出して浜松町駅で降りて、日の出桟橋に向かった。微かに潮の匂いがする。
二十代初めの頃、この湾岸道路沿いに建つマンションの8階、ワンルームで暮らしていたことがある。
毎朝、眼下の運河を煤けた漁船が、船笛を鳴らして過ぎるのを眺めていた。どうしてこんなところで暮らしているんだろうと自問自答しながら、やや泥臭い潮の香を嗅いでいた。
毎日クラシックかモダンジャズを聴きつつ内外の詩集を読み耽り、ほとんど誰にも会わなかった。
夜中になると、人気のない湾岸沿いの倉庫街をほっつき歩いた、野良犬のように。
そうした無駄な行為をするのが青春ならば、今の自分も青春のままだ。

日の出桟橋は、はとバスや外国人ツアーの観光客で、ごったがえしていた。
「水上バス」といっても、屋形船を模した観光船だ。
大正期には「ぽんぽん船」と呼ばれる蒸気船が墨田川を往還して、東京の風物詩として人気を博していたという。蒸気船のゆったりした速度、青空に吸われる蒸気のけむり、下船後の浅草見物・・・という童夢のような都会の景色があったのだ。
しかし現在は、高層ビルや倉庫の建ち並ぶ一帯となり、隅田川両岸の視界は広がらない。ただし、都市を水を隔てて眺められる貴重な乗り物であることに相違はない。水と陸との境界が曖昧で、どちらも不確かに揺らいでいる。危うく波立つものに身をゆだねることこそ、今の自分にふさわしい。

隅田川を遡って浅草まで行くコースを選ぶ。
二階席はツアー客に占有されてしまったので、一階の船底のような席に着いたが、隅田川の川の目線と同じ位置で、都市の風景を眺められる。永代橋、両国橋、吾妻橋等、江戸時代から現在まで続く橋下を、水上バスは潜り抜けてゆく。
徳川家康が江戸に幕府を開いて以来、この隅田川一帯が江戸文化の中枢の地になったことはいうまでもない。水路(掘割)が血脈のように、あらゆる場に拓かれ、人々が住み着き、独特の文化を築いた。それが著しく人間臭いものであり、かつ豊かなものであったことを、現在のわれわれは知っている。幕府という絶対権力があったにせよ、「町人の町人のためによる文化」を築いたのだ。
日頃愛読する藤沢周平の描いた『本所吾妻橋』の江戸庶民の哀歓を思い出していたが、それを偲ぶよすがは、水上バスの光景からは全くうかがえない。
橋はすべて鉄橋であり、それは流通の一経路で人情の往還する場ではない。護岸ではトロンボーンの練習をしている中学生やジョギングをしている男女、といった人々の姿がみられる。高層マンションのベランダから洗濯物の断片が、あちらこちらに白っぽくひかっている。
しかしそれらの光景は江戸から続く庶民の文化とは何の接点もない。都市の中心を貫き、東京を象徴する川なのに、隅田川はなぜガンジス川のような「聖なる河」とはなり得なかったのか。なぜ誰一人隅田川を「聖なる河」と見做さないのか・・・。

あれこれ考えているうちに、最後の橋、吾妻橋を潜り、水上バスは、あっという間に浅草に到着してしまう。下船すると黄金色に輝く巨大なウンコが否応なく目に入る。
アサヒビアホール館の屋上に置かれる巨大なオブジェだ。
はとバスのツアー客のフリをしていると,旗を掲げ持つ小柄で可愛らしいガイドさんが「焔をイメージするオブジェで、当初は縦に置く予定でしたが、目の前にある高層マンションの視界をさえぎってしまうため、横に倒れる形となりました」と解説してくれる。焔がウンコとなった稀有の例だったのだ。ツアー客たちも「あれ、ウンコだよね」と苦笑しながら、ひそひそ語りあっている。しかしわたしは浅草にウンコを見に来たわけではない。観光に興味はないので、「はとバスツアー客のフリ」は三分間でやめる。

護岸をぶらぶら歩いていると、突如として建設中の「東京スカイツリー」が眼前に現れた。船内で案内をしていた筈だが気付かなかったのだ。

隅田川を隔てた護岸のベンチから、しばらく茫然と、その未完の塔と向き合った。
ツリーというより巨大な蝋燭のような形状。塔の最上部にオレンジ色の逞しい鉄柱が二本、しっかり屹立し、先端から赤いクレーンを垂らしている。それで小空間のパーツを吊り上げ、積み重ねているという。
子供の頃熱中したレゴの玩具の原理と同じだ。
しかしこのオレンジ色の二本の鉄柱は異様に美しい。
ツリーが完成してしまえば消えて無くなるものなので、未完を支えるパワーの切実さを感じる。東京スカイツリーが完成してしまえば、ここは凡庸な観光スポットにしかならないだろう。
しかし未完の今の風景には、こころの内側を不安定に揺るがす、さざめきのような発光がある。

昭和30年代に建設された東京タワーは、高度成長期にさしかかる時代の空気とも見合って、土台のしっかりした安定したタワーのビジョンを与えるものだった。
しかし、東京スカイツリーは、架空の夢を、ひたすら積み上げ積み上げ、不安定に揺らぎ続けるビジョンに向かって造られている気がする。
だが、それは必然の形態でもある。
塔は近未来のわたしたちの(ユングのカテゴリーでいえば)集合的無意識を象徴するものだから。架空の夢を、どこまで垂直に、天空を貫くように積み重ねていけるのか・・。
「なぜここにいるのだろう。いったいここに何をしに来たのだろう」
不安定に揺らぎ続ける架空の塔とは、自分ではなかったのか。「ワタシハナニモノナノナノデスカ」「アナタハナニモノナノデスカ」

隅田川の上空を、茜に染まった刷毛のような夕雲が、群れをなして、ゆったり流れてゆく。空だけを眺めていると、江戸時代と全く変らない、静かに小刻みに流れてゆく時間のたゆたいを感じる。
黒ずんだ隅田川の河面にも夕陽が散り散りになってゆらめいている。
安藤広重が「江戸名所百景」に描いた隅田川の幾多の情景は、河口の夢見るような空間の豊かさと、そこを行き来する人々の呼吸が見事に一致している。
西欧の近代画家が浮世絵に惹かれたのは、単なる構図や技法だけではなく、「生活感情」という彼らの概念にはない共同幻想が、そこに風景化されていたからだろう。
特に広重の描いた浮世絵の俯瞰する視座は、西欧の遠近法とは相違する、風景と生活感情に焦点を絞った特異なものだ。広重は橋を描き、隅田川を描き、そこを行き交う人々を描き、空を描き、太い雨を描いた。光はゆるやかに水平に波立ち、過去から未来へと流れ、その夢の一部分を現在のわれわれも共有している。(山本一力の時代小説が多くの人に読まれているように)
しかし今、未完の東京スカイツリーを前にしていると、水平にゆるやかに流れる光だけではなく、垂直に、不安定に揺らぎ続ける光の波動が、身体の内側にも伝わってくるのを感じる。スカイツリーという人工の幻の樹が、私の身体の内側からもさざめき始めるのだ。
この名付け難い不安と熱気を孕んだ、垂直に螺旋状に射してくる光の渦とはなんなのだろう。それは希望でも絶望でもなく、ただ螺旋状に明滅する情念というしかない。光は垂直にも射すのだ。広重や北斎が描かなかった光の束だ。
スカイツリーの人工的な表皮は、時に本物の樹皮とみまがうほど、なまめかしく夕陽に照らし出される。それは人工物でも自然でもなく、得体の知れない、<わたしたち>が造りだした夢の結晶体だ。

ただ暮れてゆく一本の未完の塔
取り残される自分はどこへ行けばいいのか
黄昏(こうこん)の未完の塔の上空に無数のひかりが慄えはじめる
夢から醒めるのか、夢のなかに消えてゆくのか、このまま慄えつづけるのか。

突如、人口の樹の内部にほのかな灯がともされ、それがゆっくり上昇してゆく。巨木のなかにエレベーターが出現して、天空へと自分を誘っている。
夕闇のただなかで、スカイツリーという人口の樹木だけの輪郭が暮れ残っているのは、内部に上下するエレベーターの灯がともっているからだ。それは未完の最上階で止まり、また降りてゆく。誰を乗せているのか。
( それは自分自身でしかありえない)
最上階をすり抜けて、さらなる天空をめざしてエレベーターは、上昇していく。未完の東京スカイツリーの建物本体を離れて、灯影のようなエレベーターの小空間だけが、夕空のさらなる奥をめざして、あたかも宙空に身投げするかのように、するするするする昇りつめる。ひとつのおののきが、空無に運ばれてゆく。天空に帰郷したい消えてゆきたい、という強烈な願いが迸る。

夕空に埋葬されたかった。私自身が未完の塔だから。