純響社編集長・山下雅人のブログ

多摩湖にて

多摩湖

多摩湖

2015年7月1日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリー:コラム

多摩湖にて

久しぶりに多摩湖までサイクリングした。20代半ば頃、もよりの西武遊園地駅前の安アパートで暮らしていたことがある。当時、多摩湖町在住の作家、清岡卓行の詩や小説に心酔していて、その作品に描かれていた湖のそばに住みたいと思ったからだ。同じく敬愛していた作曲家、武満徹の住む町でもあったから。それともうひとつ、恋人づくりのためである。湖に橋、観覧車のある遊園地が目の前にあるという浪漫的ロケーションがすべて備わっているので、あとは恋人さえいれば至福の空間となるはずだった。環境さえ整えれば、後は恋人の訪れを待てばいいのだ。イメージとしては、湖の夜明けの気配とともに湖面から少女があらわれ、光の繭を纏ってわたしと肩を並べて歩み出す。その声は水晶と水晶が最初に触れ合う慄きであり、誰が聞いてもその場で即死してしまうほど美しい。その瞳は黒曜石の煌めきをもち、瞬くたびに多くの人々を卒倒させてしまう。名前は光野原繭美で、愛称ブルンネン(ドイツ語で泉)。名前とイメージが固まったので、後は出会うばかりなので、朝、夕、真夜中・・湖面を渡る橋を往復したが、なかなか出会えない。だいたい若い女性が一人で歩くような場所ではなく、多摩湖周辺には隠遁者、妖怪、世捨人、貞子がさまよっているだけだった。おまけにわたしの間借りしたアパートは駅のすぐ前で、始発電車のベルは部屋中にひびきわたり、電車が出発すると同時に部屋も揺らぐのだ。
ロマンティックな生き場所さえ確保すれば、恋人は自然に(おのずから)現れるという、わたしの予見は見事に裏切られてしまったのである。多摩湖に潜って魚を主食とする漁師として生きたかったが、魚釣り禁止だったので、電車に乗って十数分の東大和駅前にある塾講師となって小、中学生に英語や国語を教えた。授業は午後6時からなので、たいてい昼過ぎに起きるのだが、多摩湖周辺には土産物屋を兼ねた食堂が一軒あるだけ、しかもメニューは、玉子丼と親子丼だけだ。必然的にわたしは、この店で玉子丼と親子丼を、交互にほぼ毎日食べることになった。甘辛い濃いめのタレは、思い通りの恋人があらわれないわたしの味覚中枢を刺激し、白飯をかっこむことで恋に恵まれない不遇を、つかの間満たしたものだ。それから120年くらいが経って再び訪れたのだが、多摩湖の風景は基本的に変わっていなかった。日本一美しいとされる取水塔はバロック的佇まいを水面に映し出し、相変わらず魚釣り禁止なので漁民の姿はなかった。だが、わたしが恋人と巡り合うかわりに食い続けた親子丼、玉丼の店は閉鎖されていた。これでわが胸の内なる恋人「光野原繭美」と出会うチャンスは永遠に断たれたのである。
(以下、次号・多分ないが)

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カテゴリー:コラム

ベジタブルチキンバーガー

世界の中心に向けてベジタブルチキンバーガーを食べてみたくなった日のこと

男の子なら1日に1回は冒険的なことにチャレンジしようと思って、真夜中にめざめた時から、「マクドナルドのベジタブルチキンバーガーを食べよう!」と、心に期した。ベジバ(ベジタブルチキンバーガーの省略形を提案)のキャッチフレーズが「お野菜だって食べてほしい、そんなママの声から生まれました」なので、そのママの声とやらに、一度はかぶりついてみたいと、ここ数週間おもいつづけていたのだ。可能ならベジバのリピーター、ベジバーになってみようかと。
例の中国でのチキン製造ラインの杜撰さもあって、日本マクドナルドの業績が低迷している。(わたしのせいではない) しかも2年前にカサノバ女新社長を迎えてから、218億円もの連結赤字となった。(繰り返すがわたしのせいではない) なおかつカサノバ社長は昨年の謝罪会見では頭をさげるどころか、ふんぞり返っているようにみえたため「何様のつもりなんだ」と非難された。そこで今年2月の記者会見で初めて6秒間(6分ではない)頭をさげ、おおおっと歓声が湧いたのだった。しかも黒縁メガネからフレームなしのメガネに変えて、鬼母から聖母へと変身を遂げたと一部からは絶賛された。
なにか学芸会のようでもあるが、欧米社会ではリーダー的立場の人が公衆の面前で頭を下げるなんてことは、あり得ないらしい、しかも6秒も。それはともかく、新社長はおんなたらしで有名なカサノバとは縁もゆかりもない、顔だけで判断すれば、そのへんで世界的に流通しているヤワラカオバサン顔である。
そのよくみれば親しみやすい顔を打開策としたかどうかは知らないが、女社長→母のイメージ、を介したコミュニケーションの回復力をコンセプトとして、今春から「母・子わくわくベジタブル路線」(わたしが勝手に命名したのだが)商業戦略がとられているようだ。新商品として「カラフル野菜のサンドイッチ誕生、ベジタブルチキンバーガー」その別バージョンとして「グリルしたチキンにお野菜いろいろ!モグモグマック」が販売されているのだから、これはもうワクワクするしかない。けれど詳細な解説書を読むと「モグモグパック」は、ハッピーセットに新登場!となっていて100パお子様用らしい。わたしは実年齢より大抵70歳は若くみられるのだが、それでも10歳未満とみられたことはない。モグモグマックに付いているハッピーセットのおもちゃをゲットすることは諦めるしかなかった。
その日、わたしはベジタブルチキンバーガーを注文するにふさわしい紳士としての身だしなみを整えて、100円ショップで購入したステッキを振り回し、もよりの駅前マクドナルド店にワルツのステップを踏みながら参入した。(チャップリンか、お前は)
「どうしましたか?具合が悪いなら救急車をお呼びします。だいじょうぶです。地球はきょうもまわっています」と応えるかわりに、
「いらっしゃいませ」という全世界のマクド店員全員が唱和する健全な声がひびいた。数分後、ベジタブル化し、チキン化したうえで、しかもバーガーとなった、その名も「べじたぶる・ちきん・ばあがあ」あああ!とミルクが、20代前半アイドル系女子店員(柏腹指目子・仮名)の両手に、大切に抱えられて運ばれてきたのである!!72時間絶食して待ったかいがあった。
さてその味だが、かぶりついた瞬間は、穏やかな和食テイストというか、マイルドというか人畜無害のアイドルそのものである。メインのチキンのパテが、日本人が馴染んできた練り物風(がんもどきとかさつま揚げとか)の食感に近い。ひと言でいえば「鶏つくね、はんぺん風食感」だ。レタス、トマトといったこれまでマクドが苦戦を強いられてきた生野菜の鮮度も、しっかり保たれている。勝負どころはチキンパテと野菜を浸透させるソースだ。1分、2分、3分、顎と舌と歯、右脳、左脳、海馬、背後霊、守護霊等の援助を受けつつ味わった結果、「うまいじゃんけ」(甲州弁)と率直に思った。
他店ではイタリアンやらミートソース系やら、またお決まりのマヨ系を強調しがちだが、ここのソースはあえて主張しないで、「ママと子」のコミュニケーションのマイルド味に特化しようとしているのだが、それだけではない。そのプラスアルファは、意外にも「秘伝の焼き鳥のタレ」風の味わいにあると思った。
こ、これはすごい、企業努力がタレにまみれつつ凝縮している ミルクではなく生ビールを!
と世界の中心に向かって、愛もどき、焼き鳥もどきを叫びたかった。レタスとトマトの野菜サラダ、枝豆、コーン、秘伝の焼き鳥つくねが出揃った「ベジタブルチキンバーガー」は、居酒屋メニューそのものだ。さらにチキンのパテをスモーキーフレーバーにして、ソースにチリやガーリックの風味を増せば、芋焼酎のお供に最適になるかもしれない。(この項、気が向いたら続く 気が向かなければここで終わる まだ食べ終わってないので)

2015年6月20日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリー:コラム

空飛ぶ警察官

財布を失くして数日、取得者からの連絡を待ち続けたが、この世は善意だけで成り立っていないと覚悟し、性善説から性悪説へと人間観が入れ変わりそうになるのを押しとどめつつ、もよりの交番に届け出ることを決断した。ネコババという言葉があるので、野良猫が財布をくわえて持ち去った可能性も否定できない。野良猫が、その盗んで満足を得るという根性を直して、わたしの家の玄関口に財布を戻してくれたら、キャットフード一年半分を無償で与え、そなたと君は性善説に戻るだろうと、宣託するつもりである。 (前置きが長いうえに、くどい・・ちびまるこのナレーションである)
「財布を失くしたんで、交番に自主してくるね!(^^)!」
と、できるだけ明るく家の者に声をかけるが、ものすごくシーンとしているだけでなく、背中がなにやらコワイ。自転車に乗って買い物に出かけ、後ろポケットに入れた財布を落とすという、前回のパターンを正確に踏襲している。学習能力がない、というより「ボケ狭間の戦い」つまりボケと正常の間にある男とみなされつつある。わたしはヨガや気功や瞑想を20代から続けていて、宇宙意識のメッセージを受け取る能力だけは進化させてきたつもりだが、この世に適応する実務能力の学習を、いささか怠ってしまったらしい。(これは真実であり過去、現在の実例は、枚挙に暇がない)
ともかく、「この世の財布を失くした、宇宙感覚にめざめたオジサン」(言い訳か) として、もよりの交番をめざした。

この地域を管轄するおまわりさんに話しかけられたのは2年ほど前のことだ。
、K街道をひたすら自転車で北上していたら、ポリスカー(パトカーではない!いつからかPORISCAR・・と大書された乗り物に変身していたのだ)に乗ったままのおまわりさんが、満面に微笑を浮かべて声をかけてくれたのだ。
「はーい、止まって、止まってくださいねえ」
なんにせよ、見ず知らずの人に、親しく話しかけられるのはうれしいものだ。しかもおまわりさんは最新のポリスカーを降りて、前後左右、表裏まで見透かすように、わたしの全身を眺めつくしたので、ハグされるのかとおもわず身構えた。すると「かばんの中身、みせてもらっていいですかあ・・任意ですけど」
満面微笑とみえたおまわりさんの顔筋が、ぴぴりぴりと微かにひきつった。
任意? 任意取り調べという言葉が浮かび、おまわりさんのぴりぴり感が、わが頬に飛び火する。ここで断るとややこしくなりそうなので、素直にかばんの中身をみせた。
ついさっき100円ショップで買ったばかりの、耳かき、乾燥キクラゲ、ゆずぽんず、メルヘンかぼちゃ(商標)、顔面ローラー、鼻毛斬り・・怒涛の激辛麻婆豆腐の元、メンボクツカセ(使途不明の民芸品)等を、取り出した
「100円ショップで耳かきだけを買うつもりでしたが、耳からキクラゲ(木耳)へと目移りしてしまい、同時にポン酢をかければおいしいかと思ったので、ゆずポン酢を攫いました。すると美容へと関心がうつり、顔面ローラーで皺を伸ばして少しでも若返りたいと手にとりました。・・・この時、商品が手にあふれたので、ついにカゴを取りにゆきました。ちなみに満員電車に乗ると両手を挙げて吊革につかまるのを習性としています。痴漢に間違われないために。それと同様、100円ショップでは、手のひらに商品があふれたらカゴをとるようにしております。万引に間違えられないために・・小市民の知恵といいますか・・・鼻毛斬りにおきましては、わたしじしん鼻毛の伸び率が通常の人々をうわまわっておりまして・・」
健全な市民生活者であることをアピールしようと、へどもどと言い訳をしていると、おまわりさんは核心をついたものを見つけたというように、あるモノをカバンから取り出した。
ワンプッシュで開く折り畳み傘・・・それは軽量で、柄のところにあるボタンを押せばすぐ開くが、壊れやすくナイーブな形状をもった思春期の少女のような姿態なので、なるべく触れてもらいたくなかったのだ。けれどおまわりさんは、白昼堂々、ぶっとい親指で傘を押し開いた。
「折り畳み傘・・ですよね?」
それ以外の使途が、すぐには思いつかない。真夏に開けば日傘になり、真冬に開けば雪傘か・・・
その40代の働き盛りおまわりさんが、ボタンを押せば「傘をさしたまま、空飛ぶ警察官になれる」と、思ったのかどうかはわからない。けれど折り畳み傘は優美にひらき、それと同時に、おまわりさんもポリスカーも、一瞬にして消え失せてしまったのだ。
空飛ぶ警察官の残像だけが 青空にくっきり浮かぶ
後でわかったことだが、その1日前、付近にあるラーメン店主が何者かに頭を鈍器で殴られ、意識不明になるという事件が起きていたのだ。カバンに中華用鉄鍋でも所持していたら(入らないが)、連行されるところだったのである。

もよりの交番に、財布紛失届を出したことを伝えるだけだったのに、また寄り道してしまった。
耳掻きとともに買いたるキクラゲや 水に浸せば耳朶耳朶耳朶耳朶  雅人

2015年5月27日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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ドッグラン

かなりの犬好きで、近くの小金井公園に、犬を自由に走りまわせる「ドッグラン」の施設が出来た時はよろこんだものだ。けれど住宅事情により、走らせる犬を飼っていない。それなら自分が犬になりかわって走ればいいと思うのだが、まだ自我への執着を捨てきれていないので、ワンワンと吠えながら(吠えなくてもいいか)ドッグランを走りまわる勇気がもてない。入場には登録が必要らしいので、公園管理事務所に出向いた。 「ドッグランに入りたいのですが・・・」 「小型、中型、大型どちらですか」 わたしは身長170センチ、体重62キロの、典型的な中型中背なので 「中型です。最近は多少中性脂肪がついているかもしれませんが」 と、きっぱり答えることができた。まだ腹は出ていない。毎日腹筋200回を課しているので。シエットランドプードルのつぶらな瞳をした30代ぐらいの女性職員の表情が、やや曇った気がした。髪がくるくるあちらこちら巻いている、いわゆる天然パーマで、子供のころなめたキャラメルの、キャラメル箱に載っていたパッケージの女の子に似ていた。ちょっと年とったんだな。 「犬、カンサツはお持ちですか?」 犬を観察するという目的意識、展望が問われているのだろうか。人類史上、犬とどう出会ったのだろう、そして現在、なぜ愛玩されているのか、もともと野獣だったものが・・・考えに耽っていると 「カンサツはお持ちですか」 アラホーキャラメル少女が、やや苛立って繰り返す。 「観察するという気持ちだけでいいですか。これはハートの問題です」 「カンサツは気持ちではなく、証明です。今回お忘れになったなら次回からお願いします」 キャラメルはため息をついた。 観察とは命の証明なのか、深みにとどくキャラメルの発言に、思わず居住まいを正した。 「あと、狂犬病注射はお済ですか。その証明票を提出してください」 ツベルクリンからはじまって幼いころから、いやいやながら拷問のようにさまざまな注射を受けてきたが、狂犬病の注射を受けたことが、あっただろうか・・。 確かに若いころはクレージードッグ的振る舞いをしたこともあったが、いちおう人間なので、狂犬病の注射を受けた記憶はない。 「ないです」 「それでは犬に値しませんね」 「わたしが・・ですか・・」 「?????????・・・・・」 キャラメルマークの瞳に、きれいなつぶつぶの ?が並んだ。 ともかくわたしの「ドッグラン」への入場は却下されてしまった。 なんとなく腑に落ちない気分のまま、ドッグランの前の入り口にたって、改めて入場許可の文言を読んだ。 「ドッグランのエンターには、管理事務所からの許可を得てください。その際、犬鑑札の証明票と、狂犬病注射証明票を、持参してください」 そう容易く、犬になって、ドッグランを走り回ることは、できないようだ。

2015年5月16日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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袋小路の彼方にて

 

日頃からしょうもなく間の抜けた人間であることは自覚しているが、またやらかしてしまった。4月25日に池袋で行われた斎藤芳生歌集『湖水の南』の批評会のことである。この歌集では回帰する場としての故郷福島、かつて赴任したアラブ、生活の基とした東京・・・作者が移り住んだ各土地の風韻、空間の豊かさが重層化させられている。なおかつ東日本大震災のモチーフを、身の内側から表現した歌魂に、つよく共鳴して、批評会に参加できるのを楽しみにしていたのである。読み込めばよみこむほどに各ページに付箋を貼りつけたくなる作品世界であり、それは湖水に旗をたててゆくという思いでもあった。ところで、その会の一週間ほど前にパソコンがクラッシュしてしまい、やむなく買い替えたのだが、旧データの復帰がままならない。案内されていた場所が、うろ覚えのままなのだ。1時半開始、池袋東口徒歩2分、ビル8階にある貸会議室スペースで、名前は確か、「ハロー池袋」とかなんとか・・・。そして当日、以前控えていた場所のメモ書きが、どうしても見つからない。まあ、いいや、なにしろ東口徒歩2分なのだから。この思い込み・詰めの甘さで、これまで散々痛い目にあっているのに、未だ懲りていない。早めに行こうと午後1時頃池袋駅に着くが、東口といっても思いの外エリアが広い。あたり前だ、乗降客の大半がきつねやたぬきで占められている田舎の無人駅ではない。気を取り直して駅前交番に向かう。なにしろこれまでの人生において、交番で場所を尋ねてわからなかったことはない。オールマイティなのだ。交番のおまわりさん、マイフレンド・・・しかしこれも思い込みであった。徒歩2分で、歌集批評会のある貸会議室で、名前は確か、ハローなんとか・・というわたしの説明に、おまわりさんの両目から ? が、零れ落ちそうなほど広がってゆく。このまま放っておくと ! となり、不審人物となり兼ねないので、早々に退散する。場所がわからない場所を訊く、というのが、そもそも無理だった。まあ、いいや、なにしろ徒歩2分なのだ、馬鹿に近い楽天主義を貫こうと東口周辺を歩き始めた。記憶している住所は南池袋で、それはメイン通りの右側のエリアなので、すぐ見つかる気がした。8階会議室を目安としてビルを見上げたままひたすら歩くので、たくさんの人とぶつかってしまったが、見つかるだろう。なにしろ徒歩2分なのだ。しかし午後2時を過ぎると、いささか焦る。すでに会は始まり、パネラーによる基調発言が開かれているはずだ。
蝶たちの触角震うつるつるの紙に両翅の刷られゆく時 『湖水の南』

蝶図鑑から飛び出した蝶たちの触角が、池袋東口ビル街のあちらこちらからから湧いてきて、それらをかきわけつつ、さまよっている気分だ。つるつるの街に刷り込まれてしまいそうなのは、自分なのだ。
午後3時

砂の国より帰れば青し草伸びる畦道にもういないのは、だれ 『湖水の南』

小一時間も無闇に歩き続けていると、池袋が、だんだん砂漠地帯化してくる。畦道はどこにでもある。アラビアから帰国して故郷の畦道を歩く作者の感慨(2010年夏) を思い出しつつ、ビル街区のエリアを行きつ戻りつするが、会場らしきものが見当たらない。目の前に城がみえているのに永遠に行き着けないカフカの小説「城」のようだ。念のため、メイン通り左の一角も、隈なく歩いてみる。会議室専門のビルをひとつ発見! 8階は「引き寄せの法則の企業セミナー開催」となっている。まあ、短歌の韻律というのも「引き寄せの法則」には違いないが、主旨が違うだろ。ここに歌人は混じっていなさそうだ。さて、どうしよう・・4月27日

池袋 袋小路の彼方にて『湖水の南』がしばしばひかる  雅人

 

 

2015年5月3日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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無機物が有機物になる時、世界がめざめる

通りすがりの郵便ポストや電信柱、マンホールにさえ、ハロー、ニーハオ、コングラチュレーション、お稼ぎけ(甲州弁)・・・と声をかけたくなるような、祝祭感覚につつまれる日がある。幼年時代の日々には織り込まれていた、全知全能のセンサーが、回帰してくる時だ。特別な理由があるわけではない。無機物だって元をただせば、素粒子仲間じゃないか、という思いが弾ける「宇宙的フィーリング・グルービー」なのだ。大人の分別を身に着けてしまうと、うっかり電信柱やマンホールに親愛感をもったりすると「フィーリング・クレージー」と思われかねない。大人になるっていうことは、実社会の規律に従って成功者となることを未来の展望として描き、競争社会を勝ち抜く原理を体得しなさい、ということを学習させられる日々のことだから。そこでは勝組と負組は、幸、不幸とイコールだ、という価値観が強固に持続され、本来備わっていた生命体としての祝祭感覚が、封印されてしまうのだ。 だがマイセルフエナジーに身を任せていると、他者の評価など、どうでもよくなってくる。「何の根拠もなく、理由もなく、すとんと落ちてくる、手つかずの感覚」(直感)の導きに従ってみるだけだ。

すべての偏見から自由になれば、電信柱だってお友達だ。無論、たいていの電信柱は無愛想で、通常、人との会話は成立しない。だいたい電気工事関係者以外、電信柱について真剣に考える人々を想定しにくい。電信柱に愛されたとか、一途に電信柱を愛したといった人の手記も読んだことがない。

4月19日だったか、Eテレの番組「日曜美術館」で、現在水戸美術館で開催されている「山口晃作品展」について、画伯の半年の制作過程が、ドキュメンタリーとして紹介された。江戸や現代を超越したモニュメンタルな風景を、細かに描くことで超越しようとする想像力に驚嘆したが、ここでは電信柱についてだけ感想を記す。展示には、電信柱のオブジェも掲げられているのだが、そこには段差があって、13階段をのぼると、電信柱のセンサーを備えた場所から地上を見下ろすことになる。つまり、電信柱を下から見上げるのは人間目線だが、13階段をのぼって上から眺めると、電信柱目線となって、地上を見下ろすことになる。この時、無機物と有機物が、一瞬にして交流する。

人と電信柱に血流が走るのだ。山口画伯は「電信柱のような、普段は景観の嫌われもののような物でも、観方を変えれば有機物になる。電線には人々の血流が流れている」といった発言をしていて大いに共鳴した。

誰ひとり電信柱を思わぬ日に空の祝祭としての電信柱  雅人

2015年4月29日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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宇宙の晴れ上がり感覚

 宇宙の晴れ上がり感覚について

「宇宙の晴れ上がり」とは、今から136億9962万年前、宇宙誕生(ビックバン)から38万年後、宇宙温度が3000度まで下がったことにより、始めて光子が長距離を進めるようになった現象をいう。それまで宇宙はあまりに高温だったため、光子は電子と衝突して直進できなかったが、電子は原子核と融合して原子となり、光子の進路の妨げとはならなくなったために、光はあまねく直進し、それまで濁った塊だった宇宙空間が、霧が晴れるように透明になっていったことを称して「宇宙の晴れ上がり」と呼ぶ。

 せっかく宇宙が誕生したのに、38万年も光は行き場をなくしたまま量子の内側に閉じ込められていたが、光は解放される運命にあったということ。だがもっとすごいのは、この宇宙最古の光は消えないまま、現在も宇宙空間を彷徨っていることだ。この化石のような最古光は、宇宙空間を突き進むにつれて波長が長くなり、可視化できない電波となる。宇宙背景放射と呼ばれるもので昭和40年、電波を観測していた2人の科学者によって「宇宙からやってくる説明のつかない雑音」として、発見された。これが、それまで信じられていた定常宇宙論を覆し、「ビックバン宇宙起源説」を明証することになり、その経緯を記した2ページ足らずの論文により、2人はノーベル賞を受けた。(ベンジアスとウィルソン)

 わたしはここで科学知識だけの宇宙談義をしたいわけではなく、宇宙の起源のひかりと自分とは直接に繋がっているということ、また宇宙の晴れ上がりのさなかに、われわれの命の営みがあることを確認してみたかったのだ。すなわち次のようなことを。

  光は遮る物がない限り 永遠に直進する

われわれは宇宙の晴れ上がりのさなかに在り続ける

光の軌跡そのものが奇跡なのだから

 ここで思い出すのは約2400年前、古代ギリシアの哲学者プラトンが説いた、有名な「洞窟の比喩」である。それは「あらかじめ洞窟の壁しか見られないように拘束された囚人は、壁に映しだされた影が世界のすべてであり、影こそが本物だと思って一生を終えるだろう」というものだ。つまり、経験したもの(影)だけを真実と思いこみ、その影を作り出した遍きひかりの存在、或いは影もたらしている彼方の存在(宇宙感覚)に気付くことがない。このことから体験したことだけを真実と思いこむ人間も、この囚人と同じだ。だから洞窟の外へと視線を転ぜよ(プラトンはこれをイデア・真実の智とした)と語った。

 宇宙の晴れあがり感覚と、プラトンが「イデア」と名付けたものとは、同質のものだと思う。

起承転結ではなく、結転承起が宇宙の法則だったのではないか。「結」から始まって「起」に戻ることを循環させているのだ。つまり宇宙の成立ちからすれば、起承転結とは直線的ではなく、円環構造になっていていて、結転承起、起承転結を繰り返しつつ現在があるといえる。

つまりは宇宙の起源はわれわれ自身であり、それは循環しているということだ。

その循環構造、有機結晶体そのものが「自分」と名付けられるものなのだろう。

木乃伊願望

緑原町にある緑原町診療所は、内科、産婦人科、耳鼻咽喉科を看板に掲げる個人病院だ。だがそのシンプルな病院名とは裏腹に、どこかしら日常の感覚とはしっくり馴染んでいない異質な気配を、その前を通るたびに感じていた。
 まず、患者さんに限らず、人の出入りを見たことがない。閑静な住宅街にある、木造二階建ての住居であり、診療所の看板がなければ個人住宅と同じだ。「緑原町診療所」と大きく墨書された文字は、雨露に晒されたまま、ところどころ剥がれかかり、産婦人科の「産」やら、耳鼻咽喉科の「鼻」の文字はほとんど消えかかっている。このような病院で赤子を産みたいと思う婦人は、たぶんいないだろう。医療を続けているのかどうかすら定かではないが、玄関先のさび付いた鉄格子のシャッターが時に開かれ、時に鎖されるので、人が住んでいるんだな、とわかる程度である。
 よく考えれば、玄関前に鉄格子のシャッターを取り付けるということ自体、なにかヘンだ。しかもここは病院である。錆びついた鉄格子の降りた病院なんて、死体安置所と変わらないではないか。少なくとも通常の風邪の患者が通常の薬を受け取る雰囲気の診療所ではないことは、確かだった。
 均質な空気の流れる郊外の住宅街にあって、その緑原町診療所あたりは、時空軸が微妙に歪んでいることを、通るたびに体感せざる得なかった。

 そして今から約一年前、「緑原町診療所」に関わる、ある事件が報道された。

 病院長の松原公平氏(推定95歳)が木乃伊化された状態で、発見、保護されたという記事だ。木乃伊は乾涸びた人体の抜け殻なのだから「保護」されたわけではないだろうと思ったが。記事によると数年来、目撃情報のない公平氏を不審に思った民生委員の通報を受けて、警官が半ば強制的に家宅捜査したところ、酸素吸入器を口につけられ、ベッドのうえで木乃伊化しつつある公平氏を発見した。公平氏には同居する娘が二人いて、長女は医師免許を持ち、次女は看護士の資格があるというが、同所で医療行為をしていた様子はない。発見時、父は生きています、と姉妹は言い張り、遺体の引渡しに頑として応じなかったという。実際に遺体は、ただ放置されていたわけではなく、腐敗を防ぐ様々な措置が施されていて、「やつれてはいるが生きているようにもみえた」(捜査員)とも語られている。

 それから一年を経たが、「緑原診療所」の佇まいは以前と変わらず、相変わらず、錆びた鉄格子は降ろされたまま、看板は堂々と掲げられている。その後の事件報道は一切なく、木乃伊化した松原公平氏の遺体がどうなったのかもわからない。木乃伊も行方不明になってしまうのか。

 当初、遺体と思われていた松原公平氏だが、姉妹の施した特殊な木乃伊化技術により、蘇生の兆しが現実のものになり、死体遺棄事件としての立件を警察が断念したとか・・勝手に想像してみるが何もわからない。
 限られた情報のなかで唯一共鳴するのは、父の遺体を木乃伊として姉妹が保存し続けてきたということだ。酸素吸入器までを装着させて。
 通常、ヒトは死んでしまえば焼却されるだけで、幾ら希望しても誰もが木乃伊になれるわけではない。なにしろ死んでいるので、自分で勝手に木乃伊になることはできない。ヒトというものは無責任に生まれ無責任に死ぬのが原則である。
 木乃伊というのは人体を乾燥させる状態を恒常的に持続させて、その人の、この世で生きてきた形を未来永劫まで残そうという営為だ。客観的に死体となろうとも、その死を認めないまま形にしようとする人々の、桁外れの情念が、木乃伊化に行き着くのだと思う.
 自分が死んでも、生延びさせてやろうと思っている人々がいる・・たとえ木乃伊になってもね・・それはこの世の側から湧いてこない、なにかしらわくわくぞくぞくする未知の感情だ。

 江戸時代、日本に初めてキリスト教を広めようと訪れたフランシスコ・ザビエルの木乃伊は、客死したシンガポールの地で、丁重に管理されている。なにしろカトリックにおける聖人なのだから。いったん聖人となれば地球滅亡の日まで、身体が乾物化されようとも、現存した人の形のまま保存されるのだ。その滅亡の日に、フランシスコ・ザビエルはめざめるのか?
(わたしの祖先は長崎大村藩主系列のキリシタン大名なので、ザビエル来日なければ今ある自分もないということにはなるが)
 
 自分の魂を木乃伊化するためには他者の魂にワープさせなければ、実現できない。この世で生きた形を他者に委ねようとする願望、それが木乃伊志向だ。
時々、木乃伊になりたくなるのだが、どうすればなれるのか、どこに教えを乞えばいいのかわからないので、そのまま生身のままで結構な年になってしまった。十歳だか、五十歳だか・・・。生きているというのは死んでいないだけで、前世から受け継げられた、怪しく艶めかしく恥さらしな身体を、仮初の世に過ぎない現世に、曝け出してみせることだけだ。

 即身成仏、の清浄性は、木乃伊化願望と似通うものだろう。
 
「緑原町診療所」の患者を志願して、錆びついた鉄格子をくぐってみることにしよう。

青木が原樹海・・富士山世界文化遺産登録、嬉しいけれど個人的思いとして

 青木が原樹海まで

  黒いナイロンバックをたすきがけにして、「風穴前」のバス停で下車すると、ほんとうにここで降りていいんだろうか、と尻込みする思いがした。青木が原の樹海をめざして都内からやって来て、富士急行線「河口湖」駅で降りたのだが、「樹海」というバス停はないことを知り、観光案内所で聞いた市民バスに乗り、樹海の近くという「風穴前」で降りたのだ。

 自殺志願者ではない、だが単なる好奇心で、やって来たわけでもない。生きたいとか死にたいとかっていう、この世の価値観からはぐれた場所に行きたくなって、青木が原樹海のそばまで来てしまったのだ。

 中肉中背、ジャケットを着て黒いバックをたすきがけにしたサラリーマン風の男が、日本一、あるいは世界で二番目として知られる自殺の名所あたりを、平日の真昼にうろつけば、逆に目立ってしまうことまでは気付かなかった。

 外国人観光客の家族の後に続いて降りると、ただちに野球帽をかぶった、樹海ボランティアというカードを首からぶら提げた初老の男が寄ってくる。

「今日はどちらに行かれますか」

 どこにも行くつもりはないから樹海まで来た、とはいえない。

「氷のほら穴とかがあると聞いたので・・・」

「ああ、それなら道路を歩いて10分くらい」

 初老の男は、やや不審気な目線を消さないまま、右指を方向指示器のように示した。

 言われた通りアスファルト道をくだると「鳴沢氷穴」の看板があり、入場料を払うと、洞窟へと向かう梯子がかかっているので、降りていってみるしかなかった。—やれやれ、自分の人生なんて、こんなものだ、あらかじめガイドされたところに導かれるだけ—樹海でも洞窟でもいいから、とにかくこの世の現実から、いったん身をくらませればいいのだ・・・自暴自棄、ふっとそんな言葉が揺らめき、洞窟内に降りていった。

 今から1130年以上前の貞観6年(864)富士山の側火山長尾山の噴火の際、古い寄生火山の間を灼熱に焼けた溶岩流(青木ヶ原丸尾)が流れ下ってできたのが、このトンネル式になった洞窟です。

 

 女性によるガイド音声が入り口付近で、絶え間なく流され続け、ここは観光名所だったんだと改めて気付く。洞窟内も手すりや照明が完備されていて、不可思議な場所を彷徨う感覚はない。ライトアップされた氷柱も、テーマパークのセッティングのようにみえてしまう。先に入って、妙にはしゃぎまわっている若いカップルの声が洞窟内にこだまして、耳ざわりこのうえない。

・・・音には二種類しかない。この世の音と、あの世の音だ。それはつねに混じっていて普通の人には聞き分けがたいが、わたしには、あの世の音だけは、はっきり聞こえる。この世のさざめきが、すべて雑音だったとは思わないが・・

 氷穴内部には、地獄穴があり(地獄はどこまで続いているのかわからない為)伝説によると相模湾にある江ノ島の洞窟に抜けられると伝えられています。また、江ノ島にある洞窟では富士の麓の洞窟に続いていると云われています。

 洞窟の半ばほどまで来て、またしても音声ガイドが流される。だが前より、やや震えて、嗄れ声になっているのを心耳は聞き逃さなかった。

 ・・・異界の混じる・・・ガイド、これまで何度も聞いたことがある

 はしゃいでいたカップルはいつのまにか消えてしまい、洞窟内にある地獄穴に、たったひとりで向き合うことができた。それは、内側から氷片があふれ出す直下型の洞穴で、柵で囲まれているため近付くことは出来ない。

 江ノ島の洞窟、つまり太平洋まで続いているという伝説の洞窟・・・だが心耳には、遠く遥かから打ち寄せる波のびきが、微かに聞こえた。

 すると江ノ島の洞窟からも、今、この富士山の麓の洞窟に耳を澄ませている者がいると、なぜかありありと感じられた。

 同じ日、同じ時刻、地獄の穴の、こちら側とあちら側で、同じ轟きをわかちあっている誰かがいる。なぜそう確信したのかはわからないが。

・・・この穴に潜りこんだっていい、跡形もなく消失できるなら。

1. 洞窟内は、全般的に天井が低いので頭上に注意して下さい!
一番低いところは、溶岩トンネルの91センチです。
注意していても、頭をぶつけて切られるお客様がいます。

 地獄穴に導かれることなく、この世の音声ガイドに従って、ともかくも洞窟を出た。案内板を改めて眺めると、この氷穴と、さっきのバス停で降りた風穴とは、樹海内の遊歩道でも結ばれていた。その小道が「自殺ロード」として知られている場所であることは後から知ったのが、ボランティアの初老の男は心耳を自殺志願者とみて、わざと教えなかったのだろう。

 もう、この世の音声ガイドに導かれるなんてまっぴらだ

 かろうじて洞窟に頭をぶつけなくてこの世に帰還し、心に誓った。

・・・それにしても地獄穴から、太平洋の波のさざめきが微かに響いていた。同時に江ノ島側からも、この氷穴に連なる轟きを聴きとめる者の気配を感じたのだ、それは誰なのか。あの世の音を共有する者・・・地獄めぐりのただなかでしか出会えない誰か・・・

 

地獄めぐりの声の赴くままに、樹海の遊歩道を歩きだす。溶岩流の起伏に沿って生い茂る原生林が果てしなく広がる一帯、だが小道に沿う限り迷うことはない。

 だが、またしても遊歩道かよ、樹海には迷うためにきたのに

 道をはずれてみる。たとえば大きな溶岩が、崖のようにたたずんでいる場所をめざして、あちらこちらと移動しては、元の場所に戻るのだ。目印が大きいので迷うことはないつもりだった。首吊りのための樹木を捜しているつもりはなかったが、「自殺防止ボランティア」の目にとまってしまったようだ。

 「道をはずれないでください!」

 道は、はずれるためにある、まして遊歩道なんだから

 と思いつつ振り向くと、同年代の男が険しい視線を向けている。

「生態系が壊れるんですよ。遊歩道以外のところを歩いたりするとね」

「は・あ?」

  元関脇舞の海によく似た小太りの男は、樹海に出入りする人間が増えたため、野生の鹿や猪が人家に近付き、最近では富士山系ではみられなかったはずのツキノワグマまで出没するようになったと語った。

 またしても、この世のガイドか、心耳は黙ったまま樹海の小道を突き進んだ。  

  生態系? 樹海のなかで自殺者が増えることと、ツキノワグマが現出するということと、どんな因果関係があるのだろう・・・

 ともかく元関脇似の男は、心耳の背後をずっとつけてきて、「富岡風穴」「本栖湖方面」の→のあるとこで、

「ここまでがわたしのガイドの終わり。バス停まで、きちんと帰ってください。最終バスまで、あと1時間です」と、言い残して去っていった。自殺防止ガイドにも縄張りがあることを知り、新たなガイドが現われるのかと、しばらく佇ずんでいたが、誰も来ない。

 この世のバスの最終まであと1時間、ならば樹海と名付けられた本来の海に漂ってみようと、ガイドなき樹海の森に足を踏み入れた。

 今から1130年前の富士山中腹の爆発によって周辺は壊滅、その溶岩流のうえに1000年以上を費やして蔓延ったのが青木が原樹海だ。まだ熱さめやらぬ溶岩に一粒の樹の種子が飛来して、この森が生まれたのだ。なぜなのだろう、その樹の種子を運んだのは、どんなエネルギーなのか・・・

 思いきり踏み外してみることにした。この世の掟を。

といっても、遊歩道を踏み外して、標のない樹海をずんずん歩いてみるという冒険に過ぎなかったのだが。

 まさしく樹海の世界は、この世の掟に従うものではなかった。

 数メートル、森に入っただけで方位がわからなくなってしまう。

溶岩泥流の激しい起伏のままに樹木が生い茂ってきたので、前後左右、東西南北の見極めすらつかないまま植物やら胞子やら細胞やらが、手をつなぎ根をつなぎあって不可解な生命空間を広げ続けてきた、めくらめっぽうに。

 普通の森林とは勝手が違う。溶岩の起伏に沿って、樹木にしがみつくように突き進むのだ。方位を失う、というのは、この世のしがらみから自由になれる、というシグナルだろうか。

 30分、40分と樹海を彷徨ううちに、方位感覚を完全に失くしていた。ようやく死場所を見つけたということだろうか。全き世間からの断絶、ぐるりと首をめぐらせても、胞子で育った樹林が、低く身をかがめてくるばかりだ。舞の海似が言っていた最終バスには、もう間に合わない。

 椅子の形をした緑藻に覆われた溶岩をみつけて、息をきらせたまま腰掛けた。日没間近なのだろうが、樹海のなかは薄暗く、この世のひかりが急速に消えてゆくのがわかる。自殺志願者の多くは、こういう時、煙草に火をつけたり、ワンカップの酒を開けたりして、ひとときの猶予を持つものらしい。

 自殺志願者?

 確かに生きたくも死にたくもないふわふわした気分のままで、こんな樹海のなかまで来てしまったが、死にたいわけでもなかった。いや、その時、まったく死にたいなんて思わなかった。

 生でも死でもない領域に呼ばれた・・・

ここから出発したい、魂、も、あるさ。