短歌の純響社

短歌時評 西巻真
いまとかつてに、くるしく満ちて ―「題詠blog2010」鑑賞


赤き水入れれば赤きペットボトルそのひそやかな淋しさを置く  梅田啓子


  「ひそやかな淋しさ」。
  容器の内側をなみなみと満たしていながら淋しいのは、その状態を淋しいと
主体が感じているのは、なぜでしょう。

  まず、この歌を声に出して読んだとき、上の句のカ行・濁音・半濁音といった
破裂音と下の句のサ行・ハ行といった無声摩擦音のコントラストに、読み手の耳
と舌はぐっと引きこまれるはずです。破裂音の存在感、摩擦音の酸味あるひびき、
それぞれの音から香るものをさぐるとき、あるひとつの風景が見えてきます。

  実体がありながら透明な容器は、注がれたものの影響がありありと見た目に
表れてしまう。「赤き水入れれば」ということは、この歌のなかの「ペットボトル」は
主体によって再利用されており、すくなくとも一度はからっぽの状態になった、つ
まりこの「ペットボトル」は喪失を知っていることになります。

  いまは別の液体「赤き水」で満ちている、それは確かな、いまこの時・現在であ
ると同時に、満ちていたというかつての記憶の再生でもあります。

  自己を制御できなくなること。喪失の記憶とともに、くるしく満ちるということ。

  たとえば恋はいつもそのようなものであったことを、主体は「赤きペットボトル」
を傍らにひっそりと思いおこし、重ね合わせているのでしょうか。 

            * * *
「題詠blog2010」お題「044:ペット」より、印象深かった歌。
※「題詠blog2010」会場→ http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2010

石畑由紀子 詩人、短歌詠み。1971年生まれ。
北海道詩人協会会員。


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